2024.11.9. いきる朗読(研究生日誌/ゆきの)
今日のテキストは、いかにも日本的な江戸時代のご夫婦のお話。夫も妻も直接自分の思いを伝えることがない。それでもそこになにかがある。その “なにか” は、何であるかわからない。筆者も意図を持って、読者に直接的に伝えようとしていない感じがした。
私はこの何も言わずに察する、少し前に流行語にもなった “忖度” のようなものと、その時代の女性のあらがえない宿命みたいなものの中には、夫婦の美談というだけではなく、相手を大切に思いながらも深い恨みやどうしようもない哀しみ、罪悪感からの言い訳があるような気がした。
このどうしようもない相反する気持ちを、自分の中に持ちながら生きるのはとても苦しく、言葉にしたところであらがえない宿命の中で哀しみはさらに深くなる。
テキストが私に合わせて準備されているのかと毎回思うくらい、私の今「生きる」ことの課題にぴったり寄り添っている。私がそう自分に寄せて感じているところもあるのかも知れないが、WS(ワークショップ)の中で由梨さんが参加者ひとりひとりを見て言葉をかけてくれているからにほかならない。
さて、最後はいつものように自分で選んだ1ページを読む。
私が選んだのは、欲がなくいかにも善人のような主人公が妻を亡くした後、心配して訪れた仕事仲間に思わず自ら空気を換えるような鋭い一言を放つシーン。
由梨さんは、“序破急” の破のところだねと言った。
思わず放つ一言のセリフと、我に返って静かに思いを語り出すセリフ。何度も読んでみたが、難しい。しかし状況をイメージしながら読んでいくと、主人公のどうしようもない妻への悔恨の念が私の中にも湧き上がってきた。
帰宅してからも何度か声に出して読み、そのシーンを思い浮かべながら演じ読んでみた。そうか!と自分なりに気づく。このセリフはこっちの読み方だった、とか、登場人物たちのそれぞれの気持ちとその交流、空気感。そこから生まれる感情。
WSの中で、もっと一人で読み込む時間や繰り返し読む時間、由梨さんからアドバイスを受けて読み込んでいく時間が欲しいと思った。
でもそう思いつつも、まだ口もその文章に慣れておらず最初に読んだ時には、その物語に出会った自分の中のフレッシュな感情のままを読めた感じがしている。その段階があればこその そうか!なのだなと。
いきる朗読
新しいものをいれるのではない。
元々あったものを掘りおこして磨いたり、
ふたしかなものをふたしかなままで受けとめたり、
確信していることをちがう角度で眺めてみたり、
声とことばとからだでやってみる時間です。
【日 程】 11/23(土), 11/24(日)※単発参加OK!
【時 間】13:30-16:30
【会 場】中目黒周辺会場(お申し込みの方に追ってお知らせいたします)
【ファシリテーター・演出指導】岩橋由梨
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