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2024.6.29.ドラマワーク勉強会(研究生日誌/ゆきの)

今回はソシオドラマだった。
参加者は5名。

ソシオドラマ
アメリカの精神病理学者 J.L.モレノが集団の社会的不適応や人間関係を改善するために考案した即興の劇。 (1) 舞台,(2) 治療者兼演出者,(3) 助演者,(4) 演技者兼患者,(5) 観客 (患者) ,(6) 役割から構成される。場面と役割だけ与えられた即興劇の進行のなかで,各人の心理的葛藤や,社会的,文化的問題を明らかにし,発言,行為,観客としてのカタルシスの作用によって,集団の自発性を回復,増進させようというもの。この方法は,言語,動作を含む総合的,集団的,全体的な診断法であり,治療方法といえる。

ブリタニカ国際大百科事典

説明が難しいがソシオドラマとは、社会的人間関係に起こる課題を、架空の物語をつくり即興で演じることによって、多面的な気づきや学びを得るためのメソッドとでもいう感じか。私は「他者の靴を履く」経験だなと思っている。

Shared central issue

5名それぞれが、自己紹介と最近1ヶ月の出来事や感じたことなどを話したあと、グループに分かれて最近の自分の課題や社会で起こっていることなどについてトピックを出した。そして全員でドラマにしてみたい事柄を出し合い、今回の共通項となる問題テーマ Shared central issueを導き出す。

トピックとしては、子供の友達関係、親の介護、働き盛りの知り合いの急死、才能ある有名人の自死、刑期を終えた犯罪者と被害者家族など多岐に渡ったが、語り合った結果 今回のShared central issueは、

「親が亡くなった時、明日からどう生きるか?
…3か月後、喪失感におそわれた私はなにをたよりに生きるか?」


となった。

さらにみんなで意見を出して話し合いながら、そのための登場人物と設定
を考えていった。

登場人物

主人公(さとみ) 35歳
独身:本当は結婚したい。キャリアでいくか悩み中。
仕事:バリバリ働く。高収入。管理職。
好きなもの:映画、コンビニスイーツ

妹(まゆみ) 31歳
既婚:1~2歳の女の子がいる 専業主婦

母(ひろみ) 60歳
独居。膵臓癌、1年ほど通院しながら闘病。「大丈夫よ」と言う人。
離婚後、パートのダブルワーク

 さとみ中1、まゆみ小2の時に離婚

即興劇へ

簡単に、展開された場面としては、

  1. 母余命1ヶ月の入院中、姉妹がお見舞いに行った病床のシーン。

  2.  15日後、さらに病状が進んだ母の病床(母と姉妹の会話)。看護師に促され、母が清拭の間 病室から離れ姉妹二人だけになる(姉妹の会話)。清拭が終わり、病床に戻り再び母と姉妹の会話。

  3. 数日後、母に頼まれて実家にある書類が入った紙袋を持参して、姉と妹(子供を連れて)が病床を訪ねる。

  4. 母が亡くなり四十九日の法要の後、実家に戻ってきた姉妹。しばらくすると、妹の携帯に保育園から連絡があり妹は帰る。主人公である姉がひとり残る。

ファシリテーターのゆりさんは、Role-reversalで役を交代したり、Magic curtainでその役の心の声を聞いたり、物語を進行させながらも視点を変える、感情を確かめるという作業を入れていく。役者を自由にして、なりきっている心のままにセリフが出ているのを遮ることなく、でもテンポよく場面展開をしていく。
 
観客になっている参加者にも、途中で感想を聞きながら役割交代をする。電話という小道具を登場させ自然な形で役者を舞台からはけさせ、効果的と思われるシーン設定をつくる。
 
そして、今回はテーマが “死” なので、役者の感情を必要以上に疲弊させないようにというギリギリのところを狙っていたような気がする。シーンの工夫もあったと思うが、役の交代・観客と役者の交代をすることで、ひとりがひとつの感情にグッと入っていってしまうことが避けられたのではないかと思う。
 
私が感じたことが本当にそうだったのかどうかはわからないが、驚くのはゆりさんがそれをその瞬間 瞬間で判断して進めていることだ。
んー、すごい。

感じたこと

私も役を交代しながら演じたり、観客になって物語の舞台を観たりした。そこで感じたことはまず、架空の設定なのにとてもリアルであるということ。そして、演じてみるとその人の気持ちが、その経験によって頭ではなく身体から理解されていくということだ。

最初の場面1、私は母親の役。余命1ヶ月と知って病院の天井を見ていると、死の恐怖は感じずむしろ気持ちは穏やかだ。ただ、自分がいなくなった時の娘たちの哀しみを最小限にしたいと願うばかりで、なるべく普通に落ち着いて娘たちと接することを大切にしていた。

そして場面2で妹役の時には、母のことはもちろん心配だが、責任を背負って気丈にふるまおうとする姉も視野に入り、仕事で忙しい姉よりも小さな子供はいるが時間が自由になる自分が動こうと思った。私自身は実際二人姉妹の長女だが、妹の視点はこんな感じなのかと演じてみて初めて実感としてわかった。

設定を考えた段階では、主人公の姉は専業主婦である妹を羨ましがる気持ちもあり、キャリアを積む今の生き方でいいのか悩む部分があるのではないかと予想していた。でも実際に物語を展開していくと、場面3で姉役を演じた人は、嫉妬や羨ましいというよりは、妹に子供がいて母親に孫の顔をみせることができてよかったと感じたそうだ。

場面3で母が姉妹にそれぞれの名義の預金通帳を渡すシーンの途中、観客に感想を聞くと「母に感謝を伝えたい」という希望があったので、役者を交代し姉になって演じてもらった。姉は母に感謝を伝え、みんなの感情がグッと入っていく。

その時妹役だった私は、姉といっしょに感謝の言葉を口にしてしまったら、それはそのまま別れの言葉になるような気がして、口を一文字に結んでいた。しかし言葉を失う一方で「いやだいやだ!どこにも行かないでー!」と子供の様に叫びたい衝動に駆られていた。病室で大人が取り乱すわけにはいかないので堪えたが、これは妹役だったからこそ出てきた衝動のように思う。

物語は終盤へ

次の場面に行く前に、円座になり簡単に感想を出し合いながら、一息つく。

最後の場面4は時間を早送り、母は亡くなり四十九日法要後から。そこで、姉は母親の仕事をする姿がいいと思い仕事を頑張り、妹は小さい頃に母がそばにいなくて寂しかったので子供と一緒にいる生活を選んだことを語り合う。残った実家をどうしていくのかの課題を残し、ひとりになった主人公は「お母さん…」とポツリ呟いて劇は終わった。

Shared central issue「親が亡くなった時、明日からどう生きる?3ヶ月後喪失感に襲われたわたしは、何を頼りに生きるか?」

最後の場面で私は観客だったが、そこで姉妹は母の背中をみて自分の道を選んでいたことがわかる。母の生き方への捉え方はそれぞれ違っているが、二人の役者の語り口を聞いていると、悲しみや喪失感の中にも、今までの自分が歩いてきた人生への肯定感と、母の人生と今までの自分の人生とを土台に、これからも毎日の生活を続けていくであろうという希望を感じた。

最後に参加者全員で円座になり今日の感想を話した。同じように感じたり違う捉え方をしたり、参加者の立場・状況・経験によっても、物語や役から受け取るものは少しずつ違っていたが、貴重な時間と体験を共有したことは確かだった。

ドラマワーク

……つい長文になってしまった。

架空の物語でも演じて実際に身体で体験すると、文字をたどって読むよりも格段に感じるもの見えてくるものが違ってくる。
即興劇には目的によって様々な手法があるが、たくさんの人にこれを体験してもらいたいと思う。

ふりかえりトーク

このドラマワーク勉強会を終えてオフィスに帰り、ファシリテーターのゆりさん、ラボ研究生のたかさんと私ゆきので、ふりかえりトークをしています。合わせてお聴きいただくと、また面白いです!


これからの岩橋由梨「ドラマワーク勉強会」

次回は10月13日(日)です。
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