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【ショートショート】パシリと言われた日

 高校2年生の体育のあと、同級生の友人から「ジュース買ってきて。」と頼まれごとをされた。「いいよ。」といつものようにお金を受け取りながら売店へ歩いていった。その日は、体育が少し遅く終わったこともあり、次の授業までに時間があまりなかった。少し早歩きで向かいながら、目的のジュースを売店で購入した。その帰り道、おそらく上級生にみえる大柄な男性と通りすがった。「おいおい、買い出しに行かされているよ。」と笑いながら「パシリパシリ」と聞こえるような声で話している。僕は心の中でパシリなんかじゃない、頼まれて買いに行っただけだと思い、気にしないようにした。
 それからというもの、同じ曜日の体育のあとには面白がっている彼らが増えていった。何が面白いのか分からないが、パシられている状態の僕は、ペットボトルを2~3本抱えながら早歩きで歩いており、いつも見られないような光景なのだろう。ただ、通るたびに「パシリパシリ」他の道を通っても「パシリパシリ」と言われると気分が悪い。だからこそ、気になってくるのも人の心というもので、友人に「パシリって笑われるんだけど、どうなのかな。」と尋ねてみた。友人は笑いながら「そうかもしれないな。だって珍しいもんな。」と意外にも肯定してきたのだ。ただ悪い気はしなかった。頼まれるのが好きな性分だと自分でも分かっていたからだ。「なんだよ、それ。せめて否定しろよな。」と返し、「いや、頼みやすいもんでさ。今日も頼んでいいか。」とまた頼まれた。もちろん、承諾をして、買い出しに行った。その帰り道には、曜日が違うのにもかかわらずあの大柄な男性がいた。ただ、その日は「パシリ」とは言ってこなかった。不思議に思い、勇気をもって話しかけた。
「今日はパシリって言わないんですか。いつも言われてあんまり好きじゃないんです。」と話すとその男性は「ああ!いつもペットポトルたくさん抱えて早歩きしている子か。いや、今日はカメラ持ってきてないんだよ。」と返答された。

少し補足説明

 実際、私は高校2年生頃にジュース買ってきてと頼まれて上級生にパシリと言われた経験があります。文章にもあるように別に悪い気もしていなかったので気にはしませんでしたが、今思うとあれはパシリだった、他人から見ればいじめと捉えられることもありえました。そんな経験をもとに、パシリって写真撮影でもパシリってなるなと思い、稀有なパシられている自分を実は記録として、か面白がって写真をとっていたという落ちになります。
 もしかしたら、あの頃、もしくは今もそういった状態で苦しい方にとっては傷に塩を塗るような内容かもしれません。気分を害された方には申し訳ありません。ただ、この文章を通してパシリということを変に面白おかしく書いてみました。少しでもクスっとできれば幸いです。

以下は読まなくてもいいです。私の好奇心で色々調べただけを羅列したので…。
 パシリの語源はWikipedeiaでは”『使い走り(つかいはしり、つかいばしり)』を指す俗語、若者言葉。使い走りの砕けた言い方である「使いっ走り(つかいっぱしり)」”が語源とされています。社会学者の村越正行の2011年の研究には、沖縄の暴走族の文化継承過程をパシリとして参与観察(研究者が調査対象となる社会や集団に直接参加し、長期にわたって生活をともにしながら観察し、資料を収集する方法)をしたものがあります。その中で、筆者はパシリの活動について次のように述べています。”基本的にパシリとは、先輩の要求や命令に従い雑務作業を遂行する役割”、考察として”名前さえも与えられていなかった新参者の中学生が、上のような過程を経た結果、一人前の大体不可能な暴走族少年になっていく社会化の過程であった。”としている。つまり、社会的に地位として上のものが下のものへパシリをすることで、その社会で地位を得ることができるという見解だと私は感じた。もちろん、それは良い悪いではなく、できれば減っていってほしいことではあるが、ある種メリットとしてパシリがあるのは初めての見解であった。
 ここで誤解しないようにしたいのが、決してパシリをしろ、とか今、社会的に危ぶまれる人がいるからパシってみようとかの方法論ではないことだ。ショートショートの中にあるようにパシリを好んでいた人もいる。ただ、現実的にはいじめの一種になりうる諸刃のものだ。