不思議なことが起こりました。足が動かない。
はじめに
数日ぶりです。適応障害と診断され、休職中のさくらきゅうりと申します。
今回はここ最近で起きた不思議なことを共有したいと思い、投稿させてもらいます。ざっくり言えば、職場へ足を赴こうとしたら、足が動かなくなったというものです。適応障害なのだからそうだろう、何が不思議なのだと思われる方もいると思いますが、そこも踏まえて自分なりの解釈とともにお話ししたいと思います。
なにが起こったのか。
まずは、現状について簡単ですが、記載させてもらいます。以前、「死にたいって悪いことなのか」の冒頭でも記させてもらったように私は復職に向けてリハビリという体で週に1回職場へ足を運ぶようにしています。職場に足を運ぶといっても、駐車場まで行く、職員用扉の前まで行く、といったように段階を分けています。(自分でたてたものですが…)そこで、先日リハビリで足を運びました。恐怖心や不安はないといえば嘘にはなりますが、以前より少ない印象を受けて、いけるかなと思い、駐車場を出て歩き始めると足がとてつもなく重くなり、動かなくなったのです。
つまり、自分ではそこまで不安や恐怖心などの感情が強いとは思っていないのに足が動かないのです。
(信じられないかもしれませんが、信じてください!本当なのです!)
不思議に思ったことと考察の種
自分ではいけるかなと思っていることが実際の行動と反していたのです。
では、そもそも「行動する」とはどういったことなのかから考えてみました。
行動すること
Webで「行動」と検索するとデジタル大辞典で「あることを目的として、実際に何かをすること」とあります。何かをするとはまた雲をつかむような表現だなと思いながら、脳神経からアプローチしてみることにしました。
行動するではありませんが、行動とは目的をもって自分で動かしている以上は「随意運動」と考えられます。そこで、医療系の勉強で愛用している”病気が見える”を活用し”Vol.7 脳・神経 第2版”を参照し、私は行動を「感覚情報が入力され、随意運動を行う」と定義しました。
脳神経からみる行動
”病気が見える”を参考にすると随意運動を次の過程と脳の働きを説明しています。
➀情報の入力
視覚、聴覚、触覚などの感覚器から情報が入ってきます。それが視覚であれば、後頭葉へ、聴覚であれば側頭葉の聴覚野へ移動していきます。
②統合
そうして入ってきた情報は、何であるかを判別するために情報を統合していくことになります。例えば、視覚情報は側頭葉連合野で何であるかを識別し、頭頂連合野で「何がどこにどういう状態であるか」を聴覚の情報も加えながら統合していきます。
③思考・判断
その統合された情報は、前頭連合野に運ばれ、「どうするのか」という思考する種となります。この領域が気持ちや行動の抑制につながります。
④随意運動
③で思考された内容によって前頭葉の運動野から錐体路を通って、末梢神経へ渡り筋肉を動かしていきます。
今回の事例で考察してみる
➀情報の入力
・視覚→職場を見た、人が歩いているのを見た
・聴覚→救急車の音が聞こえた
②統合
ここは働いている場所でリハビリのために来た。あそこが職員用の扉だ。
人が歩いている。見知った人に似ている。
③思考・判断
職員用の扉まで歩こうと思った。不安や恐怖はあるけど、以前よりは少ない。いけるかな。
④随意運動
足が近づくにつれ重くなり、20mくらいを10分もかかって一歩ずつ歩き、最終的には止まった。全く足が動かない。
精神学として考察
ある教科書を調べてみると適応障害などの気分障害の中に、「転換性障害」という言葉がみられた。「心理的ストレスが身体症状に置き換えられた」という意味で使用されているそうだ。
その具体的な例として失歩(歩けない)ことがあった。実例をいくつかネットで調べると、ある条件下で歩けないというよりは、条件関係なく歩くのがままならないといったものがみられた。
この転換性障害とは従来転換型ヒステリーと呼ばれている。ヒステリーというと女性が怒っている様子が思い浮かぶが精神科では、身体症状症のことを指す。つまり、心が身体に症状として表すことのようだ。このヒステリーというものを調べる中で、これかもしれないという記録があった。それが「ヒステリーの症状は、内的葛藤や内的欲求が症状に置き換えられた(転換)ことによって出現する。」というものです。
このヒステリーという分野は、フロイトが防衛機制について考察したときに出てくる文言のようです。この防衛機制についても調べたが、それについて書こうとしたり、調べたり、論文が出来上がりそうなので、他のnoteを参考にしてください。
ここまでを踏まえて今回のことは
ここまで、脳神経と精神科での考察を書いてみました。ぶっちゃけ、真実は分かりません。推察ではありますが、脳神経からのアプローチでは③から④が反している状態であることが分かりました。そこで精神科のアプローチで捉えてみると不安や恐怖心は自分が思っている以上にあってそれを抑え込もうとしている自分がいるのではないかと考えました。つまり、行きたくないという思いと行かないといけないというリハビリ目的での考えがせめぎ合っているというものです。
〆のあいさつ
ここまで読んでくださった物好きな方本当にありがとうございます。このnoteは自分の行動を客観視するために私用している反面、こんな風に自分はいつも思考しまくっていますという紹介になります。
小難しいことばかり言いましたが、自分はあの数歩は良く歩いたなと自分を褒めてあげたいと思っています。
頑張ったな!俺!
そして、この文章を読んでいる方には不安がある方もいらっしゃると思います。私自身もそうです。そんな皆さんへ一言を添えてこの長ったらしい文章を終わりにしようと思います。
小さなことでも、どんな状況でも頑張ったな!YOU!