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本当は怖い古代エジプト - 血に染まる歴史とその真実を探る〜 「河江肖剰の古代エジプト」より

古代エジプトの歴史は、遺跡の華やかさに隠れた血生臭い一面を持っています。動画「【衝撃】怖すぎる!古代エジプト残酷史」で紹介されているこの一面は、エドフのホルス神殿やナルメル王のパレットなどの遺跡や文献から紐解くことができます。これらの遺跡には、敵との戦いや勝利の瞬間が宗教的・象徴的に描かれており、その中には、敵の生殖能力を奪うことを示す生々しい表現も含まれます。

戦争のシーンが少ないエジプトの古王国時代にも、ピラミッドの南側にある城塞攻略シーンのレリーフが残されており、エジプト軍がシリア・パレスチナの城塞を攻める様子が描かれています。また、珍しいシーンとして、城塞の中にいる女性たちがエジプト軍に抵抗する様子も描かれています。

中王国時代の王であるセンウセレト3世は、ヌビア地方を治めるために砦を多く建設しましたが、彼はヌビアの人々に対して残虐な行為を行い、井戸に毒を投げ込んだり、畑に火を放ったりしたことが記録に残されていました。

新王国時代には、セケンエンラー・タア王がヒクソスと戦い、激しい戦いの末に戦車から落ちて槍やナイフで攻撃され、討ち取られました。彼のミイラは防腐処理が簡易的に行われていたため、戦場で亡くなったと考えられています。

ちなみに古代エジプトの勇敢な兵士には、ハエのペンダントが授与されることがありました。これは、「お前はハエのように鬱陶しく敵と戦った」という意味が込められており、女性の王妃であるイアフヘテプ1世もこのペンダントを与えられました。

また、アメンヘテプ2世はトトメス3世の息子で、武芸に秀でていました。彼は青銅の的を打ち抜いたり、9メートルのオールで船を漕いだりしていたと伝えられています。しかし、彼は反乱が起こった場所へ攻め込み、王子たちを捕らえて処刑するなど、荒々しい一面も持っていました。この荒々しさは神殿のレリーフにも描かれており、ラメセス3世葬祭殿メディネト・ハブでは、手首や生殖器が切られたシーンが描かれています。

エジプト文明は遠い昔の文明であり、血なまぐささが感じられないこともありますが、こういったシーンを見ることで、生々しい文明だったことが見えてきます。古代エジプトの美しい文化や信仰と同時に、その裏に隠れた血生臭い一面を知ることで、より複雑で多面的な古代エジプト文明への理解が深まることでしょう。

詳しくはこちらの動画をご覧ください。

河江 肖剰(かわえ ゆきのり)
エジプト考古学者/名古屋大学高等研究院准教授/米ナショナルジオグラフィック協会のエクスプローラー。19歳でエジプトに渡り、1992年から2008年までカイロ在住。カイロ・アメリカン大学エジプト学科を卒業後、名古屋大学で歴史学の博士号を取得。ピラミッド研究の第一人者であるアメリカ人考古学者マーク・レーナー博士のチームに参画し、ギザの発掘調査に10年以上従事。2016年ナショナルジオグラフィック協会のエマージング・エクスプローラーに選出。ピラミッドの3D計測など、最新技術を用いた斬新なアプローチでエジプト文明の研究調査に取り組んでいる。



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