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まだ終わっていなかったんだ

昨夜、”どの辺を何発やられたのかさっぱり理解できていないボクサーのような気持ち”と一日を表現して、確か、”いつだって食べて寝る”というタグをぶっこいて休息に向かっていたように思う。

ところが、23時半頃、施設から電話が鳴り、何と、嘔吐したお婆ちゃんが誤嚥してしまった様子なのだと。

夕べは施設に吸引できる介護士さんが一人も居ない日だったので、自転車をかっとばして吸引へ行く。

ところが、かなり酷くてSPO2が上昇して来ない。これはいかん!ということで、ご家族様と主治医へ報告して救急車を呼ぶ。

本当は、施設で治せるものは施設で治したいの。入院させたくないの。何故ならば、施設だと単なる我儘やその人の性格ですよ!こういう人なの!で済むところが、病院だと「老人の不穏だ」と捉えられ、多量の鎮静剤や睡眠薬を盛られる。点滴だの治療だののためにと言っては縛られる。

病院でご飯を食べられなくなる人が多いのはそのせいだ。とかく、リスペリドンとかリスパダールなんぞは、ダイレクトに老人の嚥下機能を落とす。

が、呼吸が苦しい人を前にそういうことを言ってもいられない。救急車を呼んで救急隊がかけつけるのと同時に、キーパーソンの娘さんも到着。

ここでもう一つ悩みがあるのだ。

介護職員は、この大人数の施設にも関わらず、夜勤帯になるとたったの3人になる。そこでもし救急搬送に職員が同乗しようものなら、阿鼻叫喚。乗って行くのも地獄、残る方も地獄。

なるべくそんな事態を避けたい。かと言って、日中の仕事がメインの私が乗って行くわけには行かない。(こちらが死にますわ。)

幸いにも、このご家族様が一人で同乗して行って下さるとのことだったので、「ありがとうございます!」とお礼を言って歓喜した。救急車が来て酸素かけて貰えてお婆ちゃんの命は助かるわ、夜勤者が他の利用者を看ることが出来るわ、私は家に帰れるわ、ほんとにありがたい。

が・・・・。救急車に乗る寸前のことだった。ご家族様が乗り込む瞬間に、こちらを振り返り「ああああ!」と叫ばれたので、ビクっ!「あたし、財布も携帯も置いて来ちゃったー!」

・・・・・・・・・・。見つめあうこと、3秒。私はあきらめた。黙って救急車へ同乗した。

***

発熱していたということもあって、近隣の病院はことごとく断られ続けた。出発するまでに40分ほどかかった。

”このまま行くと。。。。最悪なことに、あの病院へ運ばれる”と思ったのは、某新宿にある、大病院だ。ほとんど必ず受けてくれるし、まあ、多分最新の医療技術がそこにあるだろう。

が、やりたがりの医師がいて、嫌がっているご老人にステントやカテーテルが入れられる。眠剤やら鎮静剤やらで朦朧となっているんだから、同意書なんてあってないようなものだ。そのせいで余計に廃用症候群になるし、入れられたものは、また手術して抜かなければならないケースも多い。

なんてことを思っていたら、やはり、その病院へ行くことになった。ああ、さよなら、私の杉並区。今夜は遠出だよ。

病院へ着いてからは、あっさりと入れて貰えず、救急車の中で2時間弱もの待機。PCRをやられて、その結果が出るまで病院へ入れないという例のアレ。

いつも思うんだけど、その間に急変したらどうするんだよ。

そして、やっと待合室に入れたのが朝の4時。しかも、その待合室は混雑していた。救急の人でごった返していた。

施設を出発したのが0時。それなのに、朝の4時にまだ診察すら受けれていないという状況だった。

ただ、幸いなことに本人は、救急車の中で段々元気になって、「何で病院なんだよ。」と悪態をつけるようになったほどで。(本当に良かったよ。あとは、治療が終わったらどうやって早いところ退院させて貰うかだ。)

私は朝一で用事があったので、無事に届けることが出来たその辺りで中座する。

どうやって帰ろう?とげっそりしていたのだけど、目の前にタクシーが来たので乗り込む。

夜勤でもないのに徹夜明け。清々しい明け方の紫色の道路を飛ばして貰って、何と、新宿の某病院から施設まで15分で着いた。渋滞がないって素晴らしい。施設の子たちにHさんの無事を告げ、帰宅したのが5時半。

病院、救急隊、施設の夜勤者、そしてご家族にHさん。それぞれが、それぞれに大変な一夜だった。皆様お疲れさまでした。おやすみなさい。

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