![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/63037725/rectangle_large_type_2_9126246c8dc4927a4c57fe316caec4fc.jpg?width=1200)
見てくれて ありがとう
施設での花火大会だった。
花火大会といっても、こういう花火じゃない。
施設の玄関の前の駐車場でやるこういう手花火。
それでも、コロナ渦でご家族様との面会も出来ず、外出もできないご利用者様にとっては、少しでも気晴らしになるかと。
手作業だけど、脚立を2つ用意して紐の両端を手で持って、こういうナイアガラもどきなどもやる。
職員の子供たちも呼んだ。その子供たちは、花火を挟んで反対側を陣取っていた。ご利用者様たちと接触し合うことは出来ないから。
そうして、西と東に分かれながらも、両者、手を叩いて喜んで下さっていた。
しかし、『あれ?あの人が居ない。』と気づいて、一階のフロアに戻ると、誰もいない食堂で独りぼっちでお茶を飲んでいらした。
花火、行かないの?
『行かないよ!いつも具合が悪いんだよ。それに花火なんてね、子供や孫と腐るほど見て来たんだよ。くだらない!』
慢性の心臓病なので、毎日のように具合が悪いというのも本当だ。でも、それとは別に、何だか、とても寂しそうだった。しかし、典型的な江戸っ子で、あまりしつこいと怒り出す。
おそらくは誘い出そうとする職員をことごとく怒鳴って、とうとう皆があきらめたのだろうってことも想像出来る。
『花火なんてね、そんなもんやったって、なーんにもならないんだよ!』
実は、この台詞は、自分の人生のことを例えていらっしゃる。認知症が酷いわけでもないが、一人で住んでいるお母さんのことが心配で、娘さんが施設に入れて数か月経った。
娘さんは、心配だからこそ施設に入れたのだけど、本人はまるで捨てられたかのように思っていらっしゃる。
この辺の親子関係のすれ違いは、とてもデリケートな問題なので、いきなり核心に触れるわけにもいかなくて、毎日毎日、少しづつ話している段階だった。
『花火なんて見てもね、なーんにも変わらないの!子育てなんてしてもね!なーーーーーんにもならないの!』
おそらくは、こういうふうに大声を出し始めた段階で、職員は引いてしまうのだろう。
なので『そうか、そうか。わかりました。』と答える。
そして。
『で、花火、見に行かない?』という私。
すると『な!?おまえは!ボケ老人か?!』と怒られる。
すみません。と、いちおう項垂れて見せると『う、うん、まあ良いよ。おまえも仲間に入れて貰えなかったのか?この煎餅やるよ。』と、ご持参の手押しのカートの中から煎餅を1枚差し出してくれた。
『ありがとうございます。一緒に花火を見ながら食べましょうか?やっほーーーいっ♪』
『・・・・・・・・・・・。』
ほら、すぐそこだから。ほら、玄関の前でやってるから。歩かなくて良いですよ。ほら、この車椅子に乗って。ほら、5分だけ。
『しょーもないなあ。仕方ない。付き合ってやるか。』
もうー、根っこが優しいから好き!
急げ、急げ。気が変わらないうちに。急げ、急げ。花火の灯が消えないうちに。
そして、とうとう車椅子を押して玄関を出て、群衆の一番前に出た。
丁度、ナイヤガラをやるところだった。
彼女の体調を観察するために、車椅子の横にしゃがみ込むと、ほどなく花火に火が灯された。
ねえ?綺麗でしょう?!と言おうと思って、左隣のその人の顔を見た。そう。『ねえ?綺麗でしょう?』と言おうと思ったのだ。
しかし、私は、言葉を飲み込んだ。
既に彼女の横顔が、完全に花火に見惚れていたから。
いつも真一文字に閉まっている唇が、ぽかんと小さく開いていた。力が完全に抜けて、暗闇を照らす手作業の花火を見ていた。
おそらくは私も、花火で照らされた彼女の顔を、同じくぽかんと口を開けて見つめていた。前を向けばすぐに見える花火ではなくて、彼女の頬を照らして、その頬に映り、浮かんでいる灯を見つめていた。二人とも無言だった。
遅れて参加したので、本当に5分ほどで終わってしまった。
火は消えた。
しかし、彼女が『ありがとうね。こんなに綺麗なもんだったかねえ。花火ってのは。』と、煎餅をもう一枚差し出して来る。
火は消えた。
でも、その頬に、綺麗で明るい灯が、いつまでも残っていた。
”本は馬鹿だ。いつ読んでも同じことしか書いてない。”
と、誰かが言った。
私は、そうは思わない。同じ本でも、観る時期、観る人によって内容は全く違うものになる。
そして、この夜の花火もまた、人それぞれの明度と彩度で、私たちの心を染めていたのだろう。
***
今日も良い一日でありますように。
いってらっしゃいませ。