呼吸
深い深呼吸をした。休日の公園で。
職場である施設では、長い人生を終えて旅立つ前の老婦人が懸命に呼吸をしている頃だろう。
医師もスタッフも総勢で手を尽くし、ご家族はその時を迎えるにあたって連日施設を訪れていた。
私もご家族様も呼吸を合わせるかのように連日見つめ続けていたが、既に三日前からチェーンストークス呼吸に移行しいるというのに頑張り続けている老婦人。
その呼吸になってから1日2日と経った頃「何か心残りでもあるのだろうか?」と思ったが、娘さんと共に彼女を見つめているうちにそうではないのだなあと感じた。
ただただ一生懸命生きているだけだ。最後の最後まで。ずっと走り続けているランナーのように、一生懸命呼吸をしている。人生はマラソンのようなもので、やっとゴールが見えて来たところ。
でも、そのマラソンは決して苦しいばかりの道のりではなくて色々な人に出会い、その道には花も咲いている。色々な道が豊かに交差する。
深刻な場面があまりに長いとご家族様も冗談を言うようになる。
何日も色々な話をしながら今こうして一緒に過ごしているご家族様も出会いたての頃はスタッフに猜疑心を持っていて結構酷いことも言われたが、彼女もまた人生というマラソンを走る人。だから、世間の他のランナーにいっぱい傷つけられて来ている。その傷つける人もまた傷ついた人なのだけど。
だから、全てをスタッフにぶつけたくなることもある。
そこで逃げずにあえて向き合っていくと、最後は人間対人間になる。
色々なことがあった。そして今は冗談を言ったり、こちらを気遣ったりして下さる。
また何日も経った。
やっと来た休日だった。気になって職場に様子を見に行きたいくらいだが、身体がへとへとだった。少し気持ちがふさぎ込んでいたところでKに誘われて行った公園で深呼吸をした。
桜が綺麗だった。空が綺麗だった。
そして夕暮れ、看護師から連絡が来た。今にも呼吸が止まりそうだと。
休もうと心に誓っていたのに、結局は隣駅にある職場まで自転車でダッシュした。辿り着くと彼女はスタッフや医師に囲まれていた。そして静かに最後の一呼吸をして白い瞼を閉じた。
お母さまの傍らで私と同じ年ごろの娘様が立ち尽くしていたが、そのお顔は冷静だった。
老婦人の顔からは苦悩が消え、お会いしてから今まで見たこともない穏やかな寝顔だった。
歩み寄り「お疲れさまです。よく頑張りましたね。お疲れさまです。」と手を握る。
娘様は「まるで出産みたいだった。」と悲し気に、けれど微笑みを浮かべて確かにそう言った。
そうですね。お母さん、人生をやり遂げた!という感じですね。
「お休みの日までありがとうございます。母とのお別れも悲しいけれど、皆さんとお会いできなくなるのが悲しいです。」
いえ、私たちはまたいつか会えますよ。会おうと思えばいつでも。お互いしっかり呼吸をして行きましょう。
色々なことがあった。
でも、喪失は大切な存在に気付かせてくれる。喪失は人を弱くもするが強く育ててもくれる。
人生という偉業を成して旅立つ人は、いつも私たち一人一人にもれなく何か大切なギフトを残して行ってくれる。
それが何かとは今は表現できないが、今この胸に確かにある。
寂しいです。
でも、出会ってくれてありがとう。大好き。