雨降って地固まりまくり
もう10月か。って気づくのが遅い。鈍い私を置いて光陰矢の如し。
しかし、今の施設に来てからの一年は長く感じた。スタートしてすぐに嫌になっていたという事実もある。
ところが、最近思うに、何というアホなことを・・・と思うような言葉を聴くことも、矛盾したことをする人に遭遇するときも、それがおかしいことだと分かる自分がいる。
なので、あまり悩まなくなった。
本質は変わらないのだなと思う。
嫌なことには近づかない。距離を保つ。
嫌だと分かっていながら、その嫌なことや嫌な人にしがみついてまであれこれ考えると言うことをしない。
それで切れる縁もあるかも知れないが、大抵の場合は相手が気が付いてくれる。
負けないのだなあ、私は。どうしてなんだろう。
大人数であっても、あの手この手で誹謗中傷する人が相手でも。
時には静かな怒りをあらわにしたりして歪な策略を無視する。時々叩き割る。
もう後戻りはできないという心理に辿り着くのは、ぶっちゃけ面倒くさいからだ。
孤独を癒すためだけにゲームをしかける人にとことん付き合った過去があるからこそ、無駄の意味を知った。
人は頑張る人に味方をする。
策略を巡らせて人ばかりを動かさそうとする心の肥満を見抜く。
世の中の人々は皆馬鹿じゃないということに気が付く。
それに気が付かない人たちが未だに無駄なことをしている。
例えば動画の間に流れるCM。人のコンプレックスにつけこんで偽物の商品を大袈裟に宣伝して売り払って逃げる人々。そのCMに起用された女優さんたちは悪くないはずなのだけど、途端に嘘つきのイメージがまとわりついて消える。悪くないと表現したのだけど、まあ、そういう仕事が来ること、ギャラの多さに目がくらんで大声で嘘をついているのだから同類か。
光陰矢の如しと言いつつも長い人生。そんな世界とは無縁の穏やかな世界にいるのはちょっと嬉しいことだ。真実しか興味がないという割とシビアな世界でもあるけれど、これが好きだ。
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