心の澱
怒涛のような一週間だった。納涼祭の前中後ということもあっただろう。
加えて現場は、看護も介護もずる休みする人が多いな~。これ、私が入る前から続いているらしいのだが、とにかく自分が気に入らないことがあると休む人が多いのだ。
休まれると残されたメンバーは倍働かなければならない。その苦しさを知った上で休むのだろうが、せっかく休んでも休み明けのその表情は晴れない。
もちろん利用者さんのためにレクリエーションなど行事の準備や後片付けに参加される方々にはそんな人はいない。いつもよりちょっときつくても黙々と働いている。
おそらくはだが、一人が二人がずる休みして遊んでいたり引き籠ってみた時、お咎めなしのノーダメージだったものだから、それを観て「ああ、大丈夫なんだ。」と思って真似をする人が増えだしたというところだろう。
前の施設にもそういう人が居たし、相方が現在勤めている施設もそんな人ばかりだと言う。
自分に優しいことは良いことだろう。が、感情にも出来事にも対処せず逃げた先には、同じ困難が待っている。もしかしたら、後回しにした分大きな問題になっているかも知れない。
その方法を取る人の疲れや心の澱は、逃げれば逃げるほど積もる。
そうして心の筋肉もつかず大人になれないまま歳をとった人が増えて来たなあと思う。
愚痴や文句、不満や悪口は言うけれど、意見も気持ちも言えない人と何度か話してみたけれど、無駄かも知れない。
この施設には、普通以下の部分が沢山ある。良く言えば可能性しかないとも言える。
愚痴や悪口や噂話というのは、人をイキイキとさせる側面がある。自分を見て貰いたい人のひとつの手段であったかも知れない。それが通用しなくなると休んで気を引こうとする人がいたり、仕事の話題に入っていけないだけで「帰らせてもらいます。」と言う人もいる。
が、そういう人たちが休んでも帰っても、仕事は回る。辛い時、気が重い時というのは、もしかしたらそういった人たちの理解を得ようなんて考えていたときかも知れない。
案があるのに、『無理かなあ?』と幾つかを躊躇してストップしていたことがあった。
構わずにやってみようと思う。
何故ならば、意味のない儀式や風習ばかりに時間を取られて、利用者様たちが全然安全ではないからだ。
そんなことを思いつつ、今日、新しい食事・水分・排泄管理表を作った。応援してくれる人も居る。それで充分じゃないか。
私はそんな人々と同じく、普通に公休で疲れが取れる。
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