彼が自由になった日に
暑い日だった。水分補給が大切だ。
ところで、認知症であっても昭和の男性はやたらと威張るし、易怒傾向にある。怒鳴る、怒鳴る。
でも、その”怒鳴り男”の中でもAさんとかBさんとかは、水分補給して貰うために椅子を持って行ってベッドサイドに座ると『いくら?』という。いきなり優しい雰囲気を醸し出して。
何が?
『これ、一杯いくら?』
御代はいただいているので、沢山飲んで下さい。
にやっと笑って『そんなこと言って出口でぼったくるんじゃないの?』
良いから飲んで下さいっつうの。ここをどこだと思ってるの。それにどんな店で飲んでたの、あなたたちは!
そして最近、脳出血で昏睡になってしまった方もそのお一人だった。一度目の発作であまり手足が動かなくなってしまったけれど、上機嫌でイオンジュースを飲んでくれていたのに。今は飲めない。
彼には身寄りはなかったが、まだホームに入所する前通っていた店のマスターと、その常連客がよくお見舞いに来てくれていた。
そして17時25分。もう少しで私たちも仕事を終える時間。夜勤者への申し送りの準備をしている頃、彼の呼吸は止まった。
詳細は割愛するが酸素ボンベの注文について病院とすったもんだしていた。『返品できないんだから、いつまで使うのかハッキリわかりませんかね?』と、同じ職業のナースが言うのだから、頭がおかしいとしか言いようがない。いつ息を引き取って酸素を使わなくなるかなんてわかるはずないじゃないか。
今にも止まりそうな呼吸だということは理性で分かっているのだけど、もしかしたら前回のように奇跡の復活劇を遂げるかも知れない。いや、遂げて欲しいと思って『とりあえずあと一週間分下さい!』と半ば怒りつつ注文したところだった。
その直後に彼は旅立った。
ピッチで『先ほどの発注はキャンセルです・・・』と言いつつ、彼のベッドサイドに足を運んだとき、『あれ?!』と思った。
自分が何に対して違和感を感じているのか、最初は分からなかったが。
数えきれないほどの人々を看取って来たが、いつもとあきらかに違う。いつもだったら、『お疲れさまです。』と泣いてしまうのに、『え?』となった理由はすぐに判明した。
いつもだったら、下手すると『戻って来て!』と言ってしまうことすらある。
それは亡くなった直後の人がまだそこに居るからだ。
どう言ったら良いのか、まだそこに魂があるからだ。しかし、息を引き取ったという第一声を聴いて駆けつけたとき、Tさんは、完全にもうそこには居なかった。もぬけの殻だったのだ。
次に出た言葉が、『ああ、Tさん。もうお店が開く時間だもんね。『うえーい!♪』って飛び出したんだね。』だった。
それが分かる人、つまりは施設長が『ほんとだねえ。飲みに行ったんだねえ。』と。
友人であるマスターは『彼に何かあったら知らせて下さい。』と施設に名刺を預けていたが、いざ電話をかけると『うわ!困ったな。今は行けません。』と。
そりゃそうだよね。これから店だもんね。
『○○式典でお預かりしているので明日でも会うことが出来ます。』と電話口で言っているボス。
少し、ふふ!笑いたくなる。大丈夫ですよ。マスター。今、そちらに行きましたよ。2年間、夢にまで見たあなたのお店に。
そこにあるのは亡骸で、中身は鼻歌を歌いながら、駅の方向へスキップして行ったに違いない。不謹慎だが、こんなに悲しく感じないお看取りは初めてだった。
余談だけど、同室の元のんべえのAさんは不穏だった。認知症だから不穏としか記録されないけど、多分『なんだよ!ずるいな!』と言うところだろう。
Tさん、ありがとう。あなたがいたから色々頑張れた。是非とも美味しいお酒を飲んで欲しい。