今 会いに行きます
1月30日。保護された猫ばかりが集うシェルターに足を踏み入れた時は、立ち込める獣臭に驚いた。
犬や猫を長年飼っていて一度もここまでの匂いになったことが無かったからだ。かと言って多分環境が悪いわけじゃない。きっと一生懸命世話して下さっているのだけど、数が多すぎるのだろう。
ゲージに閉じ込められている子たちが手や足を出して話しかけて来る光景にも引いたけれど、これも多分だけど時間帯を決めて順番に外に出してくれているのだろう。きっとこれでも良い方。
その中で唯一、一切アピールをして来ない一匹の猫がブランカだった。ゲージの中の小さなハンモックに埋もれるようにしている顔は小さくて、凄く幼いのだろうと思った。パートナーも私も何故だか同時に「この子だ。」と思った。
しかし、あまり月齢が幼いと連れて帰るのも無謀だと思った。田舎暮らしの頃は生まれたてから野良ちゃんを世話したこともあったけれど、今は二人同時に仕事で居ない時間帯もある。せいぜい3~4ヶ月は経っていてくれないと・・・、だからこの子はダメだと言われるかも知れない。里親は、念入りな面談があるのよね。不合格かも。
そう思って恐る恐る尋ねたら、月齢5ヶ月だった。何とかここはセーフ。連れて帰ることが出来るけれど、臆病で弱そうだな。懐かないタイプかも知れない。それでもいい。怖がらせないように暮らしたい。
連れて帰った当日は高さ25センチくらいの足台の下に隠れていて、なかなか全貌が見えなかった。あたかも珍獣のような。
ところが二日目の夜に私の膝にやって来てゴロゴロ。三日目には、私の身体の上で全身を伸ばし爆睡。
どうも、柄から考えてもシャムネコの混血らしい。
耳と尻尾に薄い色がついていて、身体はスレンダーで顔が小さい。
実は甘えん坊で、にゃっにゃっにゃっ!とよく喋る。
ブルーの目といい、シャムネコに近いのだけど、顔とその表情は10年ほど前にお別れした白猫の白ちゃんそのものだ。
私にばかり懐いているので寂しいと言っていた相方Kちゃんのお膝にも乗ってくつろぐようになったので、私もほっとしたし、Kちゃんも感涙。
かつて白ちゃんが行方不明になった時、おまじないの歌を書いて壁に貼った。
居なくなった猫をみつかるという歌だった。
そして願いが叶って白ちゃんの消息が分かり再び会うことが出来たものの、やがてエゴまみれの人間の犠牲となって悲しい別れ方をした。
愛されないから動物を捕まえるのか、捕まえでもしなければ動物すら接触してくれない、だから無理やり捕まえる。それ故に恐れられるばかりで愛されない・・・のか?
その卵が先が鶏が先か?的な疑問はさておき、白ちゃんの死を目の当たりにした私は、おまじないの歌は効いたのか効かなかったんだか分からないなあ~と悲しい気持ちで思った。
でも、今は思う。効いたなんだな。また会えた。
多分なのだけど、気づいても気づかなくても、私たちは皆、そんな出会いを繰り返しているのではないだろうか。
***
私が晩御飯を作っている日曜日。
Kちゃんと娘が、ブランカのために猫タワーを作ってくれた。
離れている時間もある。
でも、
まつとし聞かば 今帰り来む。
私たちが思うよりずっと願いは叶っているに違いない。