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多面体

ある時、私との間柄が険悪になった介護士の女性のことを悪く言う人がいた。『なんか嫌なことされたんだってね?聞いたよ。あの人のケアは雑だし評判が良くない。だから、気にしなくて良いよ。』と耳打ちして来る。

いつもこういうタイプの人も寄って来る。あなたの味方だよというアピールのためなのかも知れないけれど。

雑なの?と訊き返すと「そうそう。あの人ね、認知症がなくてクリアな人にしか親切にしないの。」とのこと。

しかし、もうしばらく日々を過ごしていると、その話とは裏腹の光景を何度も見かけた。

物言わぬ小さなお婆ちゃん。小さなお手々。
どうしてかな?一生懸命生きている様子が余計に心にしみる。そんなお婆ちゃん。

午後3時の忙しい時間帯に人知れず例の介護士は、その人のベッドサイドに腰かけて、一さじ一さじと飲み物を運んでいる。とろみが無い飲み物は飲めない。それも、ほとんどジュレ状に作ったものでないと誤嚥してしまうほどの嚥下力が弱い人に、少しづつ少しづつ飲ませている。

他の人は飲ませやすい人のところへ真っ先に飲ませに行ったり、皆の目につくところで大声で話しかけながらケアしているところをよく目にする。
でも、彼女は難しい人のところ、早くスタートさせないと量が入らない人のところへ率先して行き、自分の時間を使う。

そんな光景や、彼女の記録を何度か目にするうちに、嬉しくなって来た。

確かに彼女の物言いは間違いだった。誰しも余裕がなくなると、いや、余裕がない人ほど新人にやつあたりすることがあるのかも知れない。自分はそういうことしないので良く分からないが、これまでのことを思うといつもそうだった。

それが『間違いだった』と後悔してくれる理由が、私自身がそんなに軟じゃないということに気が付いたからだと言うのが残念。言い返す人だろうが黙っている人だろうが、誰に対してもあんなこと言っちゃいけないんだよ。

私は単純でその時は『許さん』と思って物申すのだけど、これまた短絡的なので、一生懸命仕事をしている様子を観ていると「頑張ってるなあ。」と敬意を持ってしまう。

人の心はコロコロ変わり、揺ら揺ら揺れる。

けれども、本当はそうでなければならない。毎日毎日、目に映る光景は違うし新しい体験が積み重なる。アップデートしていかなければならないわけで、それは後悔とは違う。

そんな折、『お疲れさまです。ありがとうございます。』と声をかけられるようになっていた。よくよく考えてみたら、私もそれを自然に口にするようになった時期と一致していた。

かつて相方Kちゃんは『人間関係が鏡だなんて、アホか。それなら皆同じになっちまうだろ。』と言った。
それもそうだ。でも、ある意味鏡のようだよ、Kちゃん。

皆、独特の揺ら揺ら揺れる鏡を持っている。よく磨いておく必要あるようだよ。

そういえば、Kちゃん。6年前、あなたとの出会いもこんなだったことを思い出したよ。
人って分からないものだね。

これからも、色んなものを映し映され、そうして頑張って行きたい。

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