春に見た心の砂漠
複数の仕事を同時にするものの、どれも慣れた仕事。なので自分のリズムでやっていると、最近入った40代くらいのナースさんが手を出して来る。
手伝おうとしてくれているんだな?と思うので、最初は丁寧にお断りするのだが、言えば言うほど執拗に手伝おうとする。しかし、その間、自分に依頼された仕事は何一つ出来ていない。
どうしても人がやっていることを一緒にやりたがるので、それならいっそのこと任せてしまおうと思い、丸ごと依頼したところ、今度はパニックになる。
それでは・・・と、こなせる仕事を見繕って再び依頼するのだが、また人の領域に手を出したがる。
やられている方としては、リズムが狂うし、やり散らかされるとどこからどこまでやってあるのかも分からないという共倒れ。
それでとうとう「今ね。それやっているところだから触らないで。」と言う。ところが、やはり、いくら触らないでと言っても人がやっていることをやりたがる。
その人にとって見れば、ありがとうと言われたいのだ。
しかし、このままでは業務に大きな支障を来すので最後まで言わなければならない。嫌だけど。
答えは、共依存になるという、それだけ。やって貰って得だと思う人は、その人がやってくれるのを待つようになり、何もできなくなる。
頼まれてもいないのに手を出すその人は立派なメサイヤコンプレックス。
「もう~、私が居なくちゃダメなんだから~。」をやりたい人。
そうすると、自分より下だと見下げた人相手としか人間関係を築けなくなる。幸せな人とは対等に付き合えない人間になる。手を出しまくる方も、それに甘える方も双方が。
そうすると、誰も成長しないし、気色が悪い大人になるしかなくなってしまう。プライベートなら少しは良いのかな(?)
いや、その人が「息子が精神を病んでいまして、残業はできません。」と言いつつ、うすら笑いを浮かべつつ困った顔をして見せるのを見てゾッとする。
親は、何かしらポーズを取ることが出来る。私は苦労している母親ですと。
故意にやっているわけではないから余計にやっかい。自分を見つめない人は、親と子とか、あきらかにハンディがあって、全然フェアじゃない関係性に置いても、間違った教育を植え付けることがある。「あなたはダメな人なのよ。私が居ないとダメなのよ。(私はこの子のために生きるのよ。だから、私には価値があるのよ。)」
やっぱりプライベートでもあってはならない異常な流れだ。
「触らないで。」とキッパリ言うしかない。他人様の領域に土足で踏み込む前に、あなたはあなたの仕事を一人で出来るようにならなければならない。
すると、今度は自分自身の、そんな幼い征服の仕方に従わない健康な人たちを悪く言い出す。ディスる、ディスる。自分自身が人にディスられると応える性格なものだから、相手も怖がらせることも出来ると思い込んでいる。
そうして時と場所、相手を換えて果てしない不毛な旅が続く。
幸いにも今の職場は、このタイプの人が長居出来る場所ではない。皆、自分の意志を持った人々だから。
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