家族看護。
家族を考える。
色々な家族の形がある。
よく生きることが、
よく死ぬこと。
緩和ケア病棟にいたとき、
症状をコントロールして退院、
または看取り。
その人と家族の関係がみえる。
きっと家族関係修復の、
最後のチャンスなんだと思う。
➀症状コントロールで入院していたA様。
本人から奥様を紹介されたけど、
退院の日に来たのは別の人だった。
どう関係を聞いたらいいか困っていると、
自分から妻と名乗ってくれた。
今までの来ていた人は?
深掘りが仕事ではないし、
スタッフたちも本人から騙されて、
騒然としてたけど、
私達も女優だから、
平然といつも通りにしていた。
➁寝たきりの男性患者B様。
とってもいい人に感じるのは看護者だけだった。
奥様はたまに下着を届けにくるぐらい。
ある時本人の目の前で奥様が話しだした。
私が事情があると思って、
何も聞かないでいたら自ら話してくれた。
「この人若い頃は、
ぜんぜん家にも帰ってこなかった。
この人には苦労をさせられました。
だからあまりここにきて、
お世話をしたくないんです。」
話し終わるといつものように帰っていった。
聞こえているのか、
理解がないのか、
普段と変わらない反応がない。
今までの経過が今なんだと思った。
③看取りなのに荷物が先になくなってくた
男性患者C様
看取りのとき家族は、
集まってその時を共にしたり、
見守ったり、
いろいろである。
奥様に連絡したにも関わらず、
荷物を片付けに来ただけで、
その人はいるのに、
荷物は全部なくなっていた。
この世で過ごす最後にもぬけの殻って、
こういうこともあるんだと学んだ。
人生に立ち会えるのは、
悪いことばかりではない。
私もこうなりたいな。
という生き方や家族もいる。
④緩和ケアやホスピスが、
一般的でない時代のD様とその家族。
喉頭がんの手術をしてで声を失い、
人工喉頭で会話をして、
常に前向きで笑顔だった。
奥様も優しくいつも一緒だった。
痛みが強く、
今のように薬や考え方が浸透していなかった。
自分の死期も全部わかり、
もう逢えないかもしれないと、
勤務が終わるたびそう言って挨拶する。
影ではどうだったか、
人間はそれほど強くはない。
でも、
そういう人でありたいと私は思う。
あなた達のこと私は忘れない。
⑤歯科医院を複数もつEさん
消化器がんの末期で入院、
余命3ヶ月。
自分のことも大事だが、
医師の説明に自分ができるうちに、
歯科医院をたたむことになった。
どれほどの思いがったか計り知れない。
従業員を露頭に迷わせないためだった。
抱えるものが大きかったが、
家族が困らないよう看取りができた。
私は大変だったと思うが、
家族っていいなあと思った。
人生を垣間見る。
人生の最後は、
籍が入っているとか、
血縁とか、
お金に関する問題、
仕事に関する問題、
本人や家族が知らなかった問題、
いろいろある。
私達援助者は、
家族の出来事には関われない。
相談があったらのるだけができること。
どちらにとっても最善の幸せを願っている。
人が生まれるときも、
死ぬときも、
ひとりではない。
だれかの関わりがあるのだ。
今を精一杯生きよう。
年を重ねてきて、
自分の人生を振り返る機会が巡ってきた。
やっぱり、
今を精一杯生きようと思う。
最後まで読んでくれて、
ありがとう。
あなたの役に立ったら、
嬉しいです。