短編小説「僕はコンビニ人間じゃなかった」
僕はコンビニ人間じゃなかった。そして、そのことに気がつくのが遅かった。初めてコンビニ人間を読んだのは大学3年生の終わり頃だったと思う。あの時の衝撃は今も忘れられない。
その頃の僕は、勉強をするわけでもなく、サークルに所属するわけでもなく、かといって遊ぶわけでもなく、自分勝手な疎外感の中で生きていた。だから、他の人とは違う考えを持ったコンビニ人間は、僕を肯定してくれるかけがえのないものとなった。
コンビニ人間には自分の軸があった。恋愛による承認や就職による安定を志向せず、マニュアル通りに動くことの悦びを人生としていた。
他者から与えられた欲望を欲望とカウントせず、自分の足で捕まえた欲望を幸福に昇華させているような、そんな人に見えた。
彼女に憧れてコンビニでバイトを始めた。その頃は、就職活動が本格化し始めた頃で、疲弊していく同級生の顔を尻目に、ラットレースからいち早く逃げ切れたことに喜びを覚えた。
ただ、それまでアルバイトをしたことがなかったからだろうか、働くことに苦労した。自分はお客様より下の存在で、他のアルバイトよりも下の存在だった。そのことに耐えられなかった。
多数の人間が簡単に覚えられるマニュアルを、いつまでも覚えられなかった。先輩とうまくコミュニケーションが取れなかった。
結局アルバイトが続くことはなく、今は引きこもりをしている。親の金を溶かしながら食う飯はうまく、自慰はとても気持ちがいい。ネット環境さえ繋がっていれば、暇な時間など感じる必要はなく、幸せだった。
射精のあと、つまり自慰の後のあの微睡の時間、僕はコンビニ人間について考える。そもそも、なぜコンビニ人間は引きこもりとならなかったのだろうか。小説を読んだ感じ、家は裕福そうである。妹は自立し、両親は健在。親に迷惑をかけたくないのならば、コンビニ店員など辞め就職するべきだし、社会に不適合であることを自認するのであれば、おとなしく引きこもるべきだ。要するに中途半端なのだ。
つまり、彼女と僕を比較するならば、よほど僕の方が文学的存在だし、彼女は自身の根源的な欲求を、ただ文字に起こしていないだけの、信頼のできない語り手であるとも考えられる。ミステリー要素のない小説における信頼のない語り手など、語り手であって語り手でない。嘘をつくなら小説にしないで欲しかった。だって信じてしまうから。文字にしないで欲しかった。だって信じてしまったから。
そもそもコンビニ人間に憧れてコンビニ店員になろうとしている時点で、僕がコンビニ人間でないことは明白だった。僕は所詮、ミーハーで無能な気持ちの悪い男で、もう名前すら覚えていないコンビニ人間に出てきたコンビニ人間が家で飼っていたしょうもない男未満の存在で、彼の言った通り縄文時代から全く変わっていない社会のシステムで不必要とされただけの、悲しくてくだらなくてつまらなくて、生まれてこなければよかった、なんて思想ですらない幼稚な感想をsnsで呟いて、少しだけついたイイねで、空っぽの心がパンパンに膨れ上がってしまって寂しい。
やっぱり社会とつながらなきゃ、アルバイトでも始めなければって心のどこかで思っているけれど、引きこもりで社会と繋がってないことにプライドを感じているから、今更ピラミッドの底辺から始めるのがあまりにも無理すぎる。
親にはちゃんと、お前が産んだせいだって言っちゃったし、実際そんなこと言っちゃダメだってわかってるけど、思ってないってのは嘘になる。
ネットの狭い幸福の中で、自己表現、自己表現。引きこもりも弱者男性も特別な存在じゃなくなってきたから、僕の属性でバズるのは無理な話。結局、クラスター内で傷の舐め合いするしかないのに、コンビニ人間プライドのせいでそれすら出来ない。
小学校までは頭が良かったのにな。作文とか得意だったし、運動だって出来た。中学生になってから不細工って言われて、背が伸びなかったからかな。そんなこと全く関係なくて、努力しなかったのが悪いわけないだろボケ。遺伝子のせいだし、親のせいだし、社会のせいだわまじ卍。
文学はクソ。だって俺を救えてないもん。西村賢太があるだろ、みたいな反論はお門違い。だってあいつは、ぐれる理由が他者にある。俺にはない。結局人のせいにするのが1番楽なんだから、あいつは勝ち組。
あぁもう本当にどうでも良くなってきた。何か大きい事やりたい。けど勇気がない。つまり可能性はまだ目減りしてなくて、まだなんでもできる。やっぱりプリキュアがいい。ってわけにもいかないから、もっと現実味のあるところ。今までやったことがあって、他の人よりも少し得意で、やってても苦にならないこと。そんなものが1つでもあれば。
ようやく気づいたのだが、書くことは思いのほか楽しかった。