今日は紀元節
自分は日本人だな~と思う瞬間は?
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〝建国記念日〝と云ふは、日本神話の紀元節のことである。古事記・日本書紀(記紀)で神武天皇が即位したとされる日で、戦前は人民必ず寿がなければならなかった。それが戦後、日本国憲法発布によって(いちおう)民主主義国となるに伴い天皇の神格化が否定された。
旧紀元節を「建国記念日」として復活させたのは昭和41年・佐藤栄作内閣であり、「憲法の精神にそぐわない」「逆コースである」との反対運動を押し切った形。
ま、休みが増えたから俺はいいけど。
さてご下問に答えると。。。
書き連ねているように、ここのところ自分は古典に回帰している。理由は前回述べたとおり。
が、「ああ俺は日本人だなぁ」とつくづく感じたのは、今からちょうど10年前、京都市美術館でボストン美術館展を観たときである。
ボストン美術館は、海外のミュージアムの中で和物の所蔵がダントツに多い。北斎に広重、国芳etc。幕末から明治にかけての混乱期は確かに〝絵ぇどころじゃない〝ではあったろうが、膨大な数の和物が海外に流出した。当該の作品群が紅毛人どもにいくらで売っぱらわれたのか知らぬが、物によっては二束三文だったと聞く。
ペルリ提督の黒船来航・砲艦による脅迫以降、横浜に函館、神戸などが相次いで開港。連中の目的はしかし日本征服ではなく、もっぱら交易。そもそもペルリの来航自体、捕鯨船に薪炭や食糧を補充するべく寄港地が欲しかった、というもの。
近年の研究では、西洋列強はアジア諸国を3ランクに分類。すなわち、
A:民度がすぐれ、対等見做し。もっぱら貿易相手国とすべし。
B:そこそこの国であるから、侵略というよりうまく付き合うべし。
C:土人同様であるから、侵略して差し支えなし。
日本は、中の上くらいの位置付けであったようだ。
なのでいわゆる維新の志士が暴れる必要もなかったのだが・・・ま、当時は分からんかった ー というより討幕・政権奪取と云ふ大目的が優先された ー んじゃろうね。
和物の海外流出に話を戻すと、〝混乱期〝というより、明治新政府のありようが大きかったのではないか。
廃城令は版籍奉還→廃藩置県(中央集権化)の前提だが、それで約3,000あったお城が、天守閣を残すもの僅か12に。廃仏毀釈に至っては、我が国古来の文化伝統たる神仏習合を徹底的に破壊した。「仏などといふ外来のものは、神州不滅・神武創業以来の聖なる土地である我が邦とは相容れぬ」などと。それで貴重な仏像が壊され、捨てられた。
伝統を知らぬとはまさにこの事で、昨今の自称保守=排外主義者を彷彿とさせる。
よしんば「保守」であるならば、むしろ北斎や広重の作品を保護すべき。逆立ちしちゃってる連中の佇まいは、これまた美術品を地下に放置した大阪維新を思わせる。
「実物無くてもデジタルで観られりゃイイんだろ?」(維新顧問の上山信一)
馬鹿である。絵画も演劇も、生で観るのとそうでないのとは、100倍違うのに。
※ 芸術音痴の橋下徹が明治のアレになぞらえ「維新」と命名したのは、逆説的にすこぶる正しい。
ともあれくだんのボストン美術館展(ネオ・ジャポネスク)で、俺は人目を憚らず、はらはら落涙。
北斎『武州千住』に『尾州不二見原』、広重『浅草田圃 酉の町詣』・・・我々の先祖が一生懸命暮らす姿が可愛く愛しく、切なくて。
◆北斎『遠江山中』
その時思ったですねぇ。「ああ、俺もやっぱり日本人だった」。
貴重な文化財の流出が残念ないっぽう、今となれば良かったとすら思える。なぜか。
経済上の国力低下のみならず、馬鹿が跋扈すきょうびの日本。だって東京芸大がピアノを売らざるを得ないとか、国立科学博物館が所蔵品を守るためクラウドファンディングとか。
いやしくも「国立」がだぜ?
その点ボストンにせよシカゴにせよ、米国は目下とんでもない物価高だが賃金も爆上げ。きっちゃ店のウェイトレスが時給3,000円などむしろ低賃金で、NY辺りじゃ5,000円もざらだとか。
経済面だけじゃない。そもそも連中には
「アーカイブする」
という、しっかりした理念が根づいているので。
公文書ですら改竄するどこかの国とは大違い。
真の国力とは、こーゆーことを言うんじゃないでしょうか。そう建国記念日に思ったり、思わなかったり。
ーーー
では音。
そんな毛糖(毛糖いうな)に敬意を表し、伊東ゆかりがコニー・フランシスをカヴァー。
◆夢のデイト。バックボーカルは、松崎しげる&。