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今日は初夢の日@お年賀✌️

初夢見た?
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ええ、初夢見ましたよ。ひっさしぶりにエロエロなやつを(笑

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

今日は神戸の母教会へ、初詣(?)に行ってきました。
道々阪急沿線じゃ例えば家の隣の古刹・例えば清荒神(きよしこうじん)。乗降客で黒山の人だかり。
ワクチン2回打ったか打ってないか。あるいは(オミクロンはまたぞろだけど)いくぶんコロナ禍が落ち着いてきたからか。去年とは段違い平行棒で人出が多かった。

長引くコロナ禍もあってか、自分が痛感したのは、それだけ「祈り」「願い」をする人々の心。仰ぐ神こそ違うけど、俺はものすごーく共感しました。

さて母教会での礼拝、牧師のメッセージ。引用するは第二コリント5章16-21。
しかしてその前振りは、

「クリスチャンにも〝俺たちは神様に選ばれた特権層。なのに君たちってば!“とか言うアホのおる。
なに言ってんだよ低脳。信仰を得られたのはお前らの努力じゃなくて、完全に、一方的に、主イエスの恵みやんか」

当該箇所で、パウロさんがそう言ってますね。まんま言ってはいないけど、いち語句いち語句読み解けば、前振り的にはそういうことを。

さて第二コリント当該部分の本題。

「今から約2千年前のこと。イスラエルはローマ帝国の属国であった。
ローマ帝国はある意味うまくやっていて、あんまり反抗しない地域は元老院による間接統治。隙あらば革命起こそうって地域は、ローマ皇帝による直接統治だった」

「皇帝による直接統治地域には、時折〝使節〝なる者が来日。これはある種のテストであって、皇帝の使節に対する振る舞い如何で、当該地域のありようを試していた。
反抗するのかしないのか。使節に対する態度振る舞いは、即ち皇帝に対するものと見なされた」

それから数百年後。17世紀から19世紀初頭に至る帝国主義の時代。
大英帝国やフランスやオランダ等の帝国主義国は、これをガチで学んでいましたね。つまり最初はリアルで直接統治。ところがよーく見ていると、植民地にも割合親和的な者もおる。
これを利用しない法はない。なぜと言うに、強権的な直接統治だとそれだけ反発も多いから。

反抗する連中には頭ごなしの直接統治。そうでない人々には一定の自治を認めた間接統治。この使い分け。
さらに遅れた帝国主義たる大日本帝国が、朝鮮統治にあたり、いっそう遅れてプチ学びを。ただ連中は概ね強権的で、創氏改名だの何だのやらかして、朝鮮人民の反発を招いた。だから安重根が伊藤博文を射殺したわけ。

話が著しく逸れました。今日の礼拝話に戻ります。

〝使節〝とは何か。

主イエスのありようを、我々クリスチャンは世俗に於いても体現せよと言われておる。振る舞い・生き様そのもので。
これが非常に難しい。だって俺っち所詮人間なので。

牧師が引いたのは、ある逸話。

ご存知作家の三浦綾子さん。彼女は旭川の六条教会のメンバーで、若い頃、聖書研究会の司会をしたことがあった。そこにノンクリスチャンの高齢の女性がたまさか参加した。

高齢女子の某Fさんは、聖書の感想に託けて延々自分語りをする。司会たる三浦綾子氏は

「クソ長っげー。他の方にも時間を差し上げてください」

三浦綾子さんは実はサバけていて、若い頃にははっきりものを言う人だったとか。なのでそう言った。

しばらく経ってから、六条教会の牧師宛てにFさんから封書が届いた。「あの時はめっちゃ不快でした」と。

こりゃいかんと思った三浦綾子さんは、牧師ともどもFさん宅に謝りに行った。
最初は頑なだったFさんも、牧師や三浦さんの誠実な謝罪にだんだん心を開き、家に上げてくれたそうな。
ふと見たら、書きかけの原稿がある。三浦綾子氏はFさんに聞いてみた。これ何ですの?
Fさんは答えた。「とある牧師の人生を、いま書こうとしていますのよ。でもなかなか書けなくって」。

ほんじゃ私に書かせてくださいと三浦綾子さん。それで出来たのが、例の『塩狩峠』。
※ちなみにこれは『塩狩峠』の関連動画

https://youtu.be/hIFDzrLF6gE

ご存じない向きのために少しく解説いたしますれば。『塩狩峠』とは、北海道の実在する牧師をモデルにした、オレ的には三浦綾子の最高傑作。

北海道に、ある青年がいた。鉄道省に勤めつつ、ある日、大雪の最中に道端で延々説教し続ける牧師を目にする。
彼は全くキリスト教なんぞに興味はない。が、その説教師の姿が心に残った。

数年後、好きな女ができる。彼女はガチのクリスチャン。江戸時代ほどではないけれど、当時クリスチャンといえば「伴天連」「妖術使い」などと言われ、白眼視されておった。
彼女は胸を病み、ほとんど家から出られない。それでも北海道の遅い春、家の窓から梅を愛で桜を愛でつつ、一所懸命生きている。

上司や親戚一同は反対す。「あげな病気持ちの女を妻にして、どげんする?」と。彼氏は将来を嘱望されていたし、なんなら彼女自身も「私を妻に取ったって、まともに妻の務めを果たすことはできません」と。

が、彼はめげない。だって、そんな彼女が大好きだから。

そして遂に結婚することに。もちろん彼女の親父さん(確か鉄道省のOB)は「こげな娘を貰うてくれて、ありがとうありがとう[m:55]」ち。

彼女の影響で、青年はキリスト教に入信。赴任先から結婚式場へ、彼は汽車で向かう。
塩狩峠というところがある。汽車は峠を上り、そして下る。頂上で、汽車のブレーキが故障する。
このままでは超高速で線路を下ることになる。乗客乗員全員死亡は必至。

そこで彼氏はどうしたか。自分が「ブレーキ」になったのですね。
その顛末が素晴らしい。線路と交差するべく身を投げれば、直ちに列車は我が身を乗り越える。それでは意味がない。
なので氏は、線路上に、平行に身を投じたのですね。なれば汽車を止められるかも知らんと。

何という冷静、何という判断。人生の終わりに。

大雑把にあらすじを書きましたが、『塩狩峠』とは、そんな話であります。
※映画にも散々なっていますから是非。

三浦綾子氏、あるいは今日の説教に話を戻すと。。。
若かりし頃の三浦綾子さんには、Fさんとのそんな邂逅がありました。冒頭で「使節」「使徒」なる説教があったけど、要は

「神の名の下に、君自身が試されておる。何となれば、君こそローマ皇帝の使節であり、あるいは主イエスの使徒であるからだ」
「なんなら、使節であるがゆえにいろんな出会いがあり、学びもある。そこで君自身が試されているのだ」

では音楽。基本に帰ってみましょうね。

◆ハウリン・ウルフ ー Killing Floor

https://youtu.be/EGIE28q3fEA

Killing Floor。自然や神は、人を殺す(こともある)。しかしそれでも我々は、「地の塩」にならなければならない。

一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにてはあらん
もし死なば多くの実を結ぶべし

ー ヨハネによる福音書、12章24節

◆ストーンズで、Salt Of The Earth(地の塩)

https://youtu.be/n06f6et66NQ

使徒あるいは使節。
コリント書を書いたパウロ氏こそ、まさにキリストの使節でありました。宣教したがゆえ、くだんのローマ帝国に虐殺されました。
しかしだからこそ、西アジア・イスラエル発のキリスト教が欧州を席巻し、世界宗教になったのですね。

◆アレサで再三、アメイジング・グレイス

https://youtu.be/CBKwV6oNYvw

そんなこんなで、あけましておめでとうございました。

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