身体的の美について(笑
『フィジカル・グラフィティ』がレッド・ツェッペリンの最高傑作であるのは論を俟たない。事実、この人も格付けでトップに上げておらるる。
◆みの氏 ー ツェッペリンのアルバムを格付けするの巻
とある夜。フィジカルグラフィティを聴きつつ宝塚グラフィティ
を眺めていたら、こんな妄想に捉われた。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」とか。そこで肉体の「美」に特化したら、生殖器などあってはならないだろう。
あんなに気持ち悪く、醜いものを。キリストの神はご自分に似せてホモサピエンスを創造されたが、アレこそ大いなるジョークとしか思われない。
聖書には「産めよ増やせよ、地に満てよ」とある。主は人類が繁殖するのを望まれたから、生殖器を備えられた。うむ、それは分かる。
でもなぁ。醜いんだよなあ、毛ぇ付きで。
※これは下ネタじゃありません。大真面目な話です。
人間が肉体的の完璧な美を目指すなら、生殖器およびそれに付随するものなどあってはならない。ましてや排泄などしてはならない。そもそも排泄物を生成してはならない。
昭和30年代に「吉永小百合はトイレに行かない」という都市伝説が一世を風靡した。うむ、これは正しい。吉永さんも宝塚の生徒さんも、トイレに行くなど言語道断。
だって美しいから。
美の象徴でもある吸血鬼には生殖器がない(本当)。連中は血ぃ🩸だけを飲み、従って排泄をしない。
いっぽう人間はモリモリ食べる。だからあんなに汚ちゃないものを生成す。
我々はしかし、「食べる」ことで食文化を作る。京都のアレや巴里のコレ。でもそれって、主に精神的のものでしょう?
なんとなれば、肉体の美を追求するにあたっては、日に一度、片手に乗るくらいのものを食せば良い。縦横せいぜい10cm、100平方cmのミニマムな世界。日本人的にも、これこそ究極の食文化につながるのではないか。
肥満にもならないし。
また、生殖器がなければ我々は、衣装に「隠す」といふ機能を排し、純粋に美を追求でける。新たな衣装文化も生まれよう。
とはいえ、どうしても生成されるアレや変な格好して行なう性行為もちろん、そんなところにこそ
「美しくなれない、人間の哀しみ」(笑
があると思う。
以上、精神面を捨象して妄想しました。例えばヅカの肉体的・美的に。
そんなこんなで
◆レッド・ツェッペリン ー フィジカル・グラフィティ(フルアルバム)
オープニングの「カスタード・パイ」から「ザ・ローバー」の流れが最高というね。あとオススメは、ジョン・ポール・ジョーンズのベースが深いところで心臓の鼓動みたいな
◆Ten Years Gone
や、「ワントン・ソング」でしょうか。
いずれも故ボンゾ(ジョン・ボーナム)のタイコが素晴らしいわけだが。。。
そもそもフィジカルグラフィティとは「肉体的の落書き」といふ意味。人間もまた、神の落書きなのかも知れません。
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