2020.4.17 想定外の幸運な偶然にときめく
今日は曇り空。何度寝かを繰り返していたら普段業務開始する時間を過ぎていた。今朝はすぐにMTGが無くてよかった。ひとまず慌ててPCの電源を入れる。この生活、身体の疲れはそりゃ少ないはずなのであるが、頭の方はいつも以上に疲れているようだ。
午後は会社の全社イベント。本来であれば、都内有名ホテルで全体会議とパーティーの予定だったのに、すべてがオンラインで行われる。(料理を)楽しみにしていたパーティーも「延期」ではあるが、果たして今年中に開催できるのか、あまり期待もできない。午前中にもオンラインMTGがあったので、一日中PCを見続け、機械を通した人の声を聞き続けた。今週はオフタイムでもzoom飲みやランチもしたし、オンラインセミナーも受けたし、youtubeも観たし、PCで動画を観る時間が長かった。
そもそも私はこれだけ動画が流行っていても、動画から情報摂取するのはちょっと苦手だった。ずっとPC画面と音に集中し続けるのは、対面のMTGや文字に対して情報の取捨選択、情報に強弱をつけて受け取ることが難しいのか、脳の疲労度が高いように感じる。
裏を返せば、実はオンラインの方がMTGやセミナーの参加度は高まるのかもしれない。対面だと、その場にいて顔さえ上げていれば参加している体が保てるし、話が進んでいる気になってしまうけれど、オンラインで話を能動的に進めていくのにはパワーが要る。反応がわかりにくい中、探り探り話す話者も疲れるけれど、聞き手もわかりやすく反応する必要がある。画面と音声とチャットを駆使しながらいつ自分に球が飛んでくるかと緊張感を持ちながらMTGに出ること、そして雰囲気や曖昧さが排除されていくことは、仕事の生産性という観点では良いことだろう。でも、雰囲気で感じ取れることや余白部分が無いと、私はやっぱり疲れてしまう。
疲れたなあと気が抜けながらも仕事を続けていたが、辺りがもう暗くなった頃に、近所に消防車が走ってきてマンションの裏にピタと止まった。周りには火の手や煙も見えなかったし、結局そう長く経たないうちに消防車は去っていったがサイレンの音と光と周囲のざわついた様子に完全に気が散り、業務は強制終了させた。
と振り返っていて感じることだけれど、これまで家から出かけて帰ってくることで一日一日区切られていた時間が、似たような時間が続いて区切りが曖昧になり、長いひと続きに感じられる。午前中のことが随分昔に感じるし、2・3日前のことがさっきのことのようにも思える。
そんなこんなで思考は断続的であるが繋がっていき、昨日も書いた受動的な自分の資質について考えていて、読みかけになっていた本を思い出した。クランボルツの『その幸運は偶然ではないんです!』だ。
人生の目標を決め、将来のキャリア設計を考え、自分の性格やタイプを分析したからといって、自分が望む仕事を見つけることができ、理想のライフスタイルを手に入れることができるとは限りません。人生には、予測不可能なことの方が多いし、あなたは遭遇する人々や出来事の影響を受け続けるのです。結果がわからないときでも、行動を起こして新しいチャンスを切り開くこと、偶然の出来事を最大限に活用することが大事なのです。
このクランボルツさんが言っているのは、「偶然を活かせばいいから何もしなくていいよ」という優しく甘いことではなくて、「幸運な偶然を引き寄せるのはあなたの行動次第」ということだ。その行動への障害、自信のなさや自尊心を守るためといった「内なる壁」を越えオープンでいることで、想定外の幸運な出来事をつくりだそうと言っている。
目標にときめかない私も、「想定外の幸運な偶然」にはときめく。思いもしなかったことが幸福な時間に繋がっていくことだって、この人生の中で何度も経験してきたはず。まあ、頭でわかったところで内なる壁が無くなるわけではないけれど、揺れ動く自分を負い目に感じずに、オープンで前向きな態度で在れれば良いのだと、お墨付きをもらったような気になり少し心強い。
今日のご飯は
ハムチーズトースト、納豆ご飯と味噌汁と昨日のピーマンの残り、非常食用にと思っていたのにどうしても食べたくなって食べてしまったチキンラーメン(卵付き)
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