炎上商法と、想像力
「え、プロモーションだったの、あれ。」
Twitterでは選挙に京アニ、吉本にと情報が溢れかえる中、パワハラセクハラを訴えていた若い女性の投稿がレペゼンの炎上商法だったとの情報が目に飛び込んだ。
このプロモーションは本当に趣味が悪いし最悪だし許せないと思っていることを前提として、若い人たちが賞賛してしまう背景を考えた。それは多分、パワハラセクハラのリアルな実感がないからなのではないかと思った。
私は大学時代、社会学を専攻していた。現代の社会問題になっているハラスメントについてやジェンダーについての問題も扱った。その中で、女性に対する差別や、ハラスメントの類は許せないと思っていたし、フェミニストの考えを支持していた。
だから、自分や周囲が社会に出てこういう「よくないこと」が起きたら徹底的に抗議すべきだし泣き寝入りなんて絶対にしない、と思っていた。小学校から大学まで共学でのびのび過ごし、世は女性活躍推進だったし、女性だからという理由で特別に虐げられたこともなかった私は疑いもしていなかった。
けれど、実際に会社員となって見た景色は少し違った。
何か言われたところで言い返しづらい雰囲気、主張したところで権力らしきものにねじ伏せられ握りつぶされること、強く主張すればするほど自分の居場所がそこになくなっていくこと、そしてその先の自分を守ってくれるものの脆弱さ。
断っておくと、幸いなことに私自身は酷いパワハラやセクハラを受けてきたわけではない。それでも、社会に身を投じれば大学生の時にはわかっていなかった問題のリアルをこの身で感じる。「そんなに簡単なことではないんだよ」と過去の自分に言いたくなった。
自分が経験していないことを全て理解しろというのは難しい。
いま特別病気や怪我をしていない私が、実際に苦しんでいる当事者の気持ちになりきれるかというと、どこまで行っても理解しきることはできないと思う。しかも、全ての人に対してそんなことしていたら身が持たない。みんな、自分の問題で精一杯だ。
だけどやっぱり、想像力を持つことを忘れてはいけない、とこの件で強く思った。
同じ境遇にはなくても、苦しんでいる人に対して思いを馳せること。
何か行動を起こす時に、これで相手は・周囲にどれだけ影響があるかって一呼吸置いて考えること。
それだけで100%問題が防げるわけでは全くないけれど、巡らせないより絶対マシだと思うから。
あと「自分はもうどうなってもいいや」って思ったからって自爆テロはしないこと。
往々にして負かせたい相手そのものじゃなくて、関係のない善良な人達と自分だけが傷つくから。これは最近のやさぐれていた自分に対する自省を込めて。
自分にできることが微力すぎてなんだか苦しくなる夜だけれど
私を含めできるだけ多くの人が生きやすい世の中になることを切に願って。
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