設立経緯
はじめに
2016年(平成28年)9月 1日、当塾は「ゼロの学校」という名前でスタートしました。
2020年(令和2年)に喫茶店兼事務所に移転、7年目を迎えています。
なぜこんな風変わりな、塾のようで塾でない、今までにないような学校を設立するに至ったか、長くなりますが、お閑とご興味のある方は、お話におつきあいください。
病気
「校長」である筆者は、学校設立の直前まで12年半ほど地方公務員として奉職していました。また詳しくお話しする機会があるかも知れませんが、公務員以前はたこ焼き屋をやってたいくらいで、通常なら当然不合格になる経歴とキャラの人間が採用されたのはおそらく、試験官が履歴書を取り違えたか、見る目のない人がいたか、はたまた酔狂で採用したのか、いずれかだと思います。
それはさて置き、簡単に言うと、最終的に鬱病状態になった末に退職し、同じタイミングでいろんな環境が揃い、やりたかったこととリンクし、気づいたら学校を立ち上げていた....これが今回の顛末です。
ある日突然、出勤途中、なぜか前に自転車を漕ぎだすことができなくなったのです。
予兆はありました。仕事で相談を受けても、「あれっ」という感じで頭が真っ白になり、判断できない。単に疲れてるのか加齢で頭が悪くなったのかと思ってたところでした。
もともと「人間は自由」だと思っており、仕事は人に指示されるのではなく自律的に行う方が成果も大きく効率が良く、何より本人にとっても良いという持論。なので、同僚の仕事にも誤植とか技術的なことなどの最低限のダメ出ししかしないようにしていたつもりです。人に指示されるのはもちろん、指示するのも大嫌い。要するに、日本(外国もあるようですが)の企業や役所などの大組織の論理と相いれず、結果、(悲しいことに)珍しくもなんともない展開の後、鬱になったということです。
悩みました。
辞めたいけど家族5人を食べさせるだけの収入はそうそう得られない。かといって、定年まで勤めて人生後悔しないか、定年まで心身が保つのか。病気を繰り返すイメージしか湧かない。結局、やはりお金で手足を縛られているのか、と暗澹たる思い。確かに仕事で失敗もし迷惑もかけてるけど、こんな目に遭うほど悪いことをしたのか。
サラリーマン生活
公務員の仕事は、事務なので机に座っているだけなので楽やろなー、と思ったら大違い。それまで「肩凝り?何それ?」という体質だったのに慢性的な肩から首のコリが始まり、体を動かさないのに毎日仕出し弁当の昼食を食べ、一気に10kg体重が増加。体重は何とか元に戻したものの、コリは全然治らない。一時期は、口が開かなくなり(顎関節症)、スプーンでヨーグルトを流し込むのがやっとということも。同じような仕事の人の中には、体調を崩して入院する人、はたまた自殺する人も珍しくないことを知り、なぜそんな状態を根本的に改善しないのかという疑問を抱えつつも、何とか仕事をこなしてきました。
初めて大きな組織に属したこともあり、「『決裁』って何ですか?」から始まり、ほとんど経験したことのない用語や考え方のオンパレード。日程調整、根回し、報告、連絡など、全く生産性のないと思われることに忙殺され、特に「私は聞いてない」と拗ねられて事務が滞るのを避けるために行う「声の大きな人」への根回しについては、単純に「何のために会議があるのか」と疑問を持ちつつ(現実的には必要なのは理解はしています)、得意ではないのでよく軋轢を起こしていたと思います。
ほぼ2年毎に配置転換を繰り返し、何度も退職を考えつつも、状況の好転悪化の波を乗り越え、この数年は割と自由にやらせて貰える部署に配置され、事務職員の中でも比較的恵まれた環境にいたと思います。対外的な仕事も多く、それなりに楽しみもありました。
ただ、周りの環境の変化により、意に沿わないことが多くなってきて、毎日、とにかく早く退庁したいと思うようになっていきました。
音楽、第三の場所
一方、プライベートでは学生時代から音楽を趣味としていました。音楽仲間に恵まれずに数十年が経ち、楽器を触ることもほとんどなくなっていた中、豊岡市のキーマンの一人とのご縁で、市内商店街で毎月第4日曜に歩行者天国にして行うイベントで演奏させていただくようになり、音楽関係、商店街、その他仕事外の地元の人と知り合うようになりました。それが発展し、ブラジル音楽・ボサノバのバンドやユニットを結成し、各所で演奏させていただくようになりました。
また、市内の一旦閉館した映画館が復活し、そのホールを利用してできたカフェが居心地がよく、仕事帰りなどにしょっちゅう入り浸るようになりました。
音楽をやっていたからこそ繋がっていった様々な人達。数十年待ってやっと現れたブラジル音楽を一緒に演奏してくれる仲間。気軽に色んなところで演奏できる環境。カフェに集まる様々な職業、背景を持つ人たちとの交流。単なる「生きがい」を超えた自分の存在意義に近いものになり、それまで逃げたかった豊岡に「このまま残ってもいいかな」と思うようになりました。また、このことで、なんとか精神的なバランスを保っていたのだと思います。
人間には「第三の場所」「逃げ場所」が必要。そのことを実感を持って体験していました。
そんな中、仕事への疑問と、ストレスが高まっていったのだと思います。
セムラーイズム
話は変わりますが、当時の仕事の必要上、また、個人的な興味から、組織論などの本はそれなりに読んでいたのですが、経営学には流行り廃りもあり、実効性に疑問を持っていました。
そんな中、あるTEDのプレゼンを見るよう勧められました。
衝撃的でした。
現在の潮流から見ると常識外れとも言えるブラジルの経営者 リカルド・セムラー(Ricardo Semler) の経営手法・哲学と、ブラジルの大学生の就職希望先第一位をキープする、機械メーカーSemco社 ー 例を挙げると、「給料は自分で決める」「役員会議は早いもの勝ちで掃除婦が出席することも」「人事担当者は大企業にも関わらず2名(うち1名が退職したので尚良し)」「社員一人ひとりの生活が仕事より大事」等々.....。
著書「セムラーイズム」も非常に読みやすく興味深い。セムラーは、こんな真逆なことをしながらも実際に効果を上げているのが驚きです。ブラジルの大不況により大企業が連鎖倒産する中、Semco社はアイデアを駆使して乗り越えているのです。実際、世界中から講演の依頼がひっきりなしに来ているようです。
「社員一人ひとりの生活が仕事より大事」。そんな当たり前のことがやっと言われるようになったのかと、感慨深いものがありました。サラリーマンをやっていなかったらピンときていなかったかもしれません。
一方、セムラーは教育でも独自の手法を開発し、全世界に無料で発信しています。その一つが Escola Lumiar(エスコーラ・ルミアール)です(紹介動画を字幕翻訳しましたのでご覧ください)。
この動画の中に「このような激しい環境変化の中にあっても、学校教育の基本の枠組みがこの100年間ほとんど変化していないというのは、何と奇妙なことでしょうか?」とあります。確かに、インターネット上のKhan Academyを利用すれば、どんな世界の僻地でもスマホとネット接続さえあれば独学で算数から高等数学まで学ぶことができる状況が既にあり、外国語の勉強であればDuolingoと言うゲーム感覚でできるアプリが実際に効果をあげつつあるのに、学校の仕組みの大枠には変化は見られません。もちろん、グループ学習などの新しい手法を取り入れたりして最大限努力されているのも、現実は簡単に変えられないのも承知していますが、枠組みが変わらなければ、一時しのぎにしかなりえない気がします。
実際に小・中学生の子供を持つ親としての実感も、それに違わないものです。課題は多く、修行のような勉強をさせられて、本当の勉強の面白さを知らないまま大きくなっていくのかと思うと、勿体無い気がしてなりません。
世界中の学力テストで常時上位となることで話題になるフィンランドは、宿題もなく塾もないそうです。クラブ活動は地域で。異論もあるようですが、少なくともフィンランドの子供たちの方が楽そうです(参考図書)。
日本でセムラーの経営や教育を広められたら、みんなもっと気楽に、私のようにならなくて済むのではないか、そんな思いが巡るようになりました。
脱学校の社会
同時期、一つの本に出会いました。イヴァン・イリッチ著「脱学校の社会」。
本文一ページ目でやられました。
<1 なぜ学校を廃止しなければならないのか>という挑発的なタイトルで始まる第1章の冒頭で、
「....彼らを学校に入れるのは、彼らに目的を実現する過程と目的とを混同させるためである。過程と目的の区別があいまいになると、新しい論理が取られる。手をかければかけるほど、よい結果が得られるとか、段階的に増やしていけばいつか成功するとか言った論理である....」
と、余りに的確過ぎる指摘がなされています。ちなみにこの本は初版1970年、半世紀ほど前の本です。
イリッチは、病院など各種の社会システムに対して批判を展開した思想家だそうですが、このシンプルかつ的確な指摘は、余りに正しすぎて、かえって日の目を見ていないのかな、とも思います。
翻って見ると、多くのビジネスが「過程と目的を混同させる」ことによって成立している気がします。そして、「そういうものだ」と思わせた者の勝ち。組織で管理部門がなぜか必ず肥大化していくのも同じ論理。過程が過程を生み、間接業務を増やしていく。みんな忙しくなり、忙しそうにしている者が評価さられる。そこに本当の目的や成果の姿はほとんどないか、お題目に成り下がっています。
目的や成果に最短でたどり着くことは、一見成果主義や短絡的との批判を受ける気がするが、そうではありません。迂回路に誘導して他人の時間を奪い、そこで商売をするのは、少なくとも私にとっては、意に沿うものではありません。
組織。仕事。教育。全てが同じように道を踏み外しているのではないか ー
全ては、システム、仕組みの問題ではないか ー
退職へ
先に書いたように、サラリーマン生活の最後の頃、鬱状態となり、病気休暇となりました。ただ、以前から決定していたライブ出演があり、それは出演しようと思っていました。
休暇中、職場の外で上司との面談がありました。仕事の話をした後、おもむろに上司がライブのフライヤーを印刷したものを取り出し、「くれぐれも出演するな」と釘を刺してきました。「『病気休暇なのに遊んでる』という人がいるかも知れない。復職後の立場が悪くなる」のが理由です。なんと、ライブの前日。
念のために言うと、上司は決して嫌がらせとかではなく、真摯に私のことを思ってそう言って来たのです。「もし出演したら庇いきれない」。それも事実でしょう。
「かえって調子が悪くなるから出演したい」「気持ちはわかるが後々を考えるとそれは賢明な判断ではない。」「ライブに穴を空けると共演者に非常に迷惑をかける」「実際に病気なんだから、それで出演できなくなることは普通にあるのでは。病気治ってからいくらでもできるよ」ーこんなやりとりの後、悩んだ末、共演者に連絡し、なんとか穴を空けることを承諾して貰いました。それを上司に報告したら「正しい判断です」と返信。結局、そのライブには穴を空けてしまいました。
さて、ここまで読んで、皆さんはどう思いますか?
「当然の結果」と思う方。立派な組織人です。間違ってません。病気で休んでいる人間がライブなんかで遊んでいたら、非難されて当然ですよね。それも、Facebookでみんなに知れ渡るから、後々を考えると賢明な判断ですよね。
「そんな馬鹿な」と思う方。お仲間です。芸術をやることは生きる事に等しい。病気だろうがなんだろうが出ればいい。非難する人は、なぜそんなに他人のことが気になるのか。私が出演することであなたの給料が減るのなら分かるがそんな事もなかろう。そもそも、好きなことをやる事が治療になるかもしれないのに。
ちなみに、周りにはほぼ同様な状況の人が複数います。みんな単に好きなことをやりたいだけなのに、会社を追い出されたり退職したり間も無く退職しようとしています。これでいいのでしょうか。
実は、私は、この、穴を開けた時ほど後悔したことはありません。
気分は最悪。正直、悔しくて涙が出ました。
そして考えました。
こうやって目立った以上、復職しても必ず誰かがチェックしてきて同じことを繰り返す。
そもそも、そんな気分で音楽をやってもしかたない。組織の論理は理解するが、自分(達)の世界とは到底相容れない。
さらに、何度も病気と復職を繰り返して定年までを過ごすなど、とても耐えられない。
退職するしかない。
学校設立へ
退職して後悔しない残りの人生を送る。何をしたらいいのか。何をしたいのか。何をすべきか。
以前から考えていたことですが、それが現実味を帯びてきました。
幸いにも、私の周りには音楽を縁として知り合ったブレーンが何人もいます。以前から色々話をする中で、「学校したら」と何度も言われていました。先ほど書いた通り、教育には疑問や提案を持っていて、面白そうとは思っていました。
私は、大学で物理学を専攻しており、決して優秀な学生でもなんでもありませんでしたが、物理学を記述するための道具である数学の美しさ、楽しさを伝えたいという思いは常に持っていました。数十年ぶりに数学の問題を解いてみると、結構解ける。数学をイメージで覚えているので、細かいところを忘れていても、イメージから復旧できるのです。
また、英語は普段からネットの英語の記事を読んでいたりしてて、少しネット辞書の力を借りれば問題ない。字幕翻訳も趣味の一つなので、実用的な英語であれば教えることができる。言語学や音声学も趣味でやってたおかげで日本語教育能力検定試験も一回で合格した。かなり昔だが、宅建の試験も民法の素養と建築・都市計画の知識のおかげで一回で合格。どちらも独学。
あと、ボサノバギターも教えられる。普通演奏されている方法とは違い6弦のうち4弦のみを鳴らすのでかえって引きやすく、複雑かつ美しいボサノバコードを習得できるだけでなく、必然的にコード理論を覚えるので、編曲の幅も広がる。
そんな風に考えていたところ、偶然が重なり、ほぼピッタリのタイミングで市内中心部の古民家物件の一画を借りることができることになり、あれよあれよと改修を経て学校がとりあえずできました。
何か見えない力に動かされている感じです。
おわりに
この文章は、学校設立から3日目の9月3日の深夜に執筆しています。学校の生徒の希望者の面談も数組行ったところです。
人間は、人生を楽しむために生まれてきた ー何でもいい、嘘のない楽しみを経験するために。
数学は美しい。楽しい。芸術も同じ。区別する必要はない。
どんどん勉強すること、先へ進むのを遠慮することはない。
そんなことを考えながら、眠い目をこすりながら文章を終えます。
お読みいただきありがとうございました。