見出し画像

手段と目的を混同するな。

 中学数学の式の展開・因数分解を教えていて改めて気付いた。以前から気になってはいたが。
 彼らは、とにかく書く。書くこと自体が目的であるかのように。そして大量の消しカスを生産する。

 提案した。暗算でやってみようと。
 頭の中でxの二乗の係数、xの係数、定数を拾い上げて仕上げていく作業。込み入った数字の場合にはメモを許した。

 結果、ほぼ普通にできる。
 むしろ、式を書き上げる際の誤転記も防げるようだ。
 もちろん、「書く」行為による時間損失もない。

 彼らは、数学でも書くことがお作法として必要なものと刷り込まれている。イヴァン・イリイチ指摘の通り、手段と目的の意図的な混同だ。

 課題を解決するには段階があり、その各段階での最適化を図るのは当然だ。しかし、部分最適に没頭すると最終的な課題解決からは遠ざかる。
 数学は、限られた時間内での課題解決における全体最適と部分最適の均衡をとる最良の訓練であるが、中学生にとっての数学は部分最適の集合体に成り下がっている感がある。

 事務作業においても、大量のワードとエクセルとpdf文書を積み上げることが仕事であると任ずる人を散見する。小さな達成感の積み上げこそが仕事。成果を提示しやすい。しかし、活用しづらい文書の山は可視化された非効率だ。

 ここで「非効率」と言ったが、効率性の目的は、少ない資源(人・モノ・金)で成果を上げることではない。それは手段だ。仕事ごっこをしている位なら早く帰って寝よう。これが効率性の目的である。

 中学生の数学の解き方が象徴する手段の目的化、部分最適への没入が慣わしになり、貴重な一人一人の人生の時間が浪費されている現状に一矢を報いたいという思いで数学を教えている。

 手段と目的は混同しがちだ。実例は控えるが、その人間の性向を利用して意図を達成しようとする各種団体や企業などがあることは万人に認識しておいてほしい。

いいなと思ったら応援しよう!