【読書ススメ録】第1回:物語が生まれない風景
プロローグ
「何かを作ること」は、この上なく幸福だ。
何かが内側に生まれるとき、それは世界で一番きれいなものを見つけた幸福な瞬間となる。
生まれた「それ」を、より私達の世界に馴染ませようとするとき。
そこには「知を愛する学問」を究めようとした哲学者のような探究心が生まれる。
そして、あなたの世界は無限に広がってゆく。
「自分では何もできない」と思った人。
そこで立ち止まるなんて、もったいない。
なぜなら私達は、それを追体験できるのだから。
例えば、歌を聞くとき。映画を見るとき。本を読むときに。
その時、私達は風景を見るだろう。
誰かの風景を見て、自分の世界が広がってゆくのを感じるだろう。
あなたもまた、幸福な瞬間を見る一人になれる。
あらすじ
小さく、そして妙に心に残る、「あの瞬間」。
あれは、どこにあったのだろう。
ある作家は、それを【使いみちのない風景】と読んだ。
何でもない日常から、ポロリと心の中に溢れ落ちてきた風景。
言葉に表現することも、メロディに乗せることも、ましてや映像にすることさえ、できない。
ただ、それらの風景には、ふとその瞬間を思い出させる力がある。
あのとき、自分はその風景を見た。
たしかにあの時、自分はそこに居たのだ。
物語がありそうな予感があったけれど、その風景は物語にはならなかった。
だから、使いみちはない。
これは、村上春樹という作家が、使いみちがなくても、これからも頭の引き出しに入れ続ける風景の話。
【使いみちのない風景】村上春樹
読了後
物語ができるとき、そこには「原因となる風景」がある。
私は、その風景を見つける方法を知りたいと思い続けていたーーちょっと自分でも余裕がないなぁ、と思うぐらいには。
そんな中、偶然手にとったこの本は「そうじゃない」と私を諭す。
自分の中に飛び込んでくる風景の中には、時に物語に加工できないものがある。
物語に加工するには、あまりにも「なんでもない」のかもしれない。
あらゆる情報も、本も、体験も、景色さえ効率的に、生産的に活用する私達。
創作物が生まれては、誰かの目にとまるか、あるいは誰にも触れられないまま瞬く間に消えてゆく。
そんな私達は、生きる上での余白にも似たその「なんでもない風景」を、ちゃんと心の引き出しにしまっているだろうか。
それとも、「いらない」と言って、「使いみちのない風景」が目の前にフッと浮かび上がった時に捨ててきてしまったのだろうか。
私は、残念ながら後者だった。
自分の中で蘇る風景があることさえ、日々の忙しさに目を奪われていたために、知らなかった。
だけど、この本には村上春樹という人が忘れられない、物語ではない「風景」が、文章で出来た写真集として綴られている。
だから、思い出すことができた。
ただ、海と空が真っ青だったことに驚き感動した瞬間。
森の中で霧に包まれ、ただ恐ろしいと思った日。
坂道のトンネルを自転車で勢いよく降りて、流れてゆく景色が面白かった。
そんな他愛もない、でも気持ちがホッとする不思議な風景が、私にもあったことを。
これから先、延々と積み重なってゆく「使いみちのない風景」が、自分の中に何を形作るかはわからない。
でも、少なくとも、それは大切な「余白」になるのだろう。
もしまた、余白を忘れてしまっても、この本を開けば思い出すはずだ。
自分にも、ちゃんと使いみちのない大事な風景があったことを。