一杯の珈琲が起こした小さな出来事
数年前の冬、私は関東の某所にて大手百貨店の前で突っ立っていた。
引きこもりのコミュ障だった私は、「社会復帰」というお題を掲げて「アンケート調査」という苦手な職種のアルバイトにえいやっと飛び込んだ。
うだるような暑さの夏半ばから始めたアルバイトは、とうとう骨の髄まで冷気が忍び寄る真冬の曇り空の下まで辿り着いた。
人間、何でもやれば慣れるのだなぁ。
その頃になると、ほとんど対人恐怖症と呼べるレベルだった私のコミュニケーション能力は、会話に楽しみを見出せるレベルではないものの、話しかけることに気楽さを感じるぐらいには成長しており、どうにか「社会復帰」の目標は達成された。
だがしかし、冬は体に堪えた。
アスファルトというのは、本当に人に優しくない。冷え冷えとしているし、固いので立っていると足の裏が痛くてしょうがない。
これは多分錯覚だろうけど、足の毛細血管が凍って「ぱきっ」と音を立てている気配を何度も味わった。
その日も、寒さが一段と身に染みる曇り空で、大手百貨店目的のお客様に無謀にも「アンケートお願いします」と果敢に挑まなくてはならなかった。
その日は、アンケート集計が伸びずに特に大変だった。
まあ、それも当然だろう。
お客様だって、一刻も早く暖かいお店の中に入りたいわけで、あんな寒い場所でアンケートなんてやりたくないに決まっている。
少なくとも、私だったら絶対に立ち止まらない。
慣れたとは言えども、ただでさえコミュ障の私がそそくさと早足のお客様に声をかけるのはあまりにもハードルが高かった。
何度か丁寧にお断りされて、若干、心が折れ始めたころ。
「あの、よかったらこれ、どうぞ」
そう、声をかけてくれた女性がいた。
女性は、大手百貨店の前にある小さなコーヒー豆店の店主さん。
寒い中でウロウロしている私たちが店から見えて、わざわざ暖かいコーヒーを差し入れてくれたのだ。
――しかし当時、私はコーヒーが飲めなかった。
父がコーヒー党なので、全く飲めないというわけではなかったが、正直、あまり好きでもない。
かといって、せっかくの差し入れを断ることなんてできない。
仕事仲間で集まって、店主さんに感謝しながら、そして苦さを覚悟しながら、私はコーヒーを口に含んだ。
次の瞬間、私は小説の表現でよくあるように、目を見開いていた。
――え、なにこれ。
驚いた。それまで飲んできたコーヒーとは何かが確実に違う。
砂糖は一切入っていないのに、とてもとても甘くて美味しい。
飲み物としての温かさよりも、不思議なその甘さで、寒さでかじかんだ体とお客様に話しかけられずに打ちひしがれていた心が、ゆっくりと癒された。
あの後、お礼の代わりに同じ種類のコーヒー豆を紹介してもらって家で淹れてみた。
もちろん、専門店の豆ということもあり、とても美味しいのだけれど、あの「甘さ」はあれから何年もたった今でも未だに味わえていない。
寒い空の下と、人の優しさで淹れられた一杯のコーヒー。
もしあの時、あの一杯のコーヒーに出会っていなければ、「ただの苦い飲み物」という感覚のまま、本当の美味しさを知らなかっただろう。
――もし、あの時、えいやっと苦手なアルバイトに飛び込んで、いろいろな人に出会い、善意の一杯の珈琲を頂かなければ、私は、今よりもっとつまらない人間になっていたと思う。
あの日の珈琲は、私の人生をほんの少しだけ変えたのだ。