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世界情勢を、自分ごととして受け止める

いま世界を揺るがしている、ロシアのウクライナ侵攻。

ニュースで見聞きする内容だけでも、つらく悲しい気持ちになってしまうけれど、それを”他人事”で片付けてしまうのではなく、なんとか”当事者”として受け止めることが出来ないだろうか。そんなことを最近よく考えます。

ただし、侵攻・戦争をまっすぐ受け止めすぎてしんどい思いをしてしまう人は、どうぞ無理をなさらずに…。ご自身の心を守ることを大前提に、つづきをお読みいただけたら幸いです。

<プラネタリアン> にとっての ウクライナ侵攻

1)国際プラネタリウム協議会(IPS)2022年大会

2年毎に開催されるIPSの最も重要な集まりが、本当はロシア・サンクトペテルブルクにある、世界最大のプラネタリウム施設(Planetarium 1)で、行われるはずでした。

それが、2月になってからの世界情勢を受けて、リアル会場での実施がなくなり、数日後にはバーチャル会場での開催も含めて無期限延期、ということになってしまいました。

パラリンピックでロシア選手の参加が認められないことになったのと同様、IPSの会合にロシアのプラネタリアンが参加することに対して、大きな抵抗を感じる人が、多かったようです。

IPS Leadershipの声明(PDF) 2022/3/4付け

そしてIPSは、上記リンクの声明文で示したように、単にロシアの会場を使うことを止める、あるいはロシア人プラネタリアンの参加を禁ずる、という選択肢は選ばず、いつか再びどの国の人も等しく参加を歓迎される状況が戻ることを信じて、その時まで開催は保留するというやり方を選びました。


It was also decided that any planetarian, from any country, should be welcome to attend and present at all IPS events.

(仮訳)また、すべてのIPSイベントにおいて、いかなる国のプラネタリアンでも、みな参加を歓迎されるべきである、ということを、確認した。

IPS Leadership声明文(2022/3/4付)より、一部引用

2年毎のIPS世界大会は、世界中のプラネタリアンがみんなでとても大切にしてきた場所。それを、バーチャルも含めて中止にすることは、非常につらい判断だったはずです。
それでも、国家としてのロシアではなく、ロシア人プラネタリアンたち一人ひとりを否定することだけはせず、あえて、彼らを排除するという選択肢よりも、より未来への希望をもった「バーチャル含めて無期限延期」としたのは、勇気のいる決断だったのではないか、と推測します。

わたし自身も、ひとりのプラネタリアンとして、ささやかながらIPSのスタンスを支持し、またこれまでの形での世界大会が実施できる日を取り戻せることを心から願っています。

2)ハナビリウム

プラネタリウムで上映されるドーム映像番組では、星空や宇宙・天文をトピックとした作品が多いなか、ある花火屋さんが、花火をテーマとした番組作りに挑戦しました。

この番組には、構想段階から製作者の方のお話を聞く機会があったのですが、作品作りへの思いとして「花火を打ち上げることができるのは、平和な空だけ」というメッセージを強調されていたのが、とても印象に残っています。

いまこの作品を上映すると、もしかしたら「夜空に眩しく輝く閃光や火花、煙などが戦争を連想してしまうから、上映は望ましくない」という声も上がってくることがあるかもしれません。
ましてや、いまの世界情勢の中で、実際の花火大会を開催しようとしたら、もっと実現が困難となるでしょう。

裏を返せば、今までのように夜空に打ち上がるうつくしい花火を楽しめていたのは、平和な世の中があったからこそ。
花火師の方たちが、平和への思いも込めて打ち上げ花火を製作してきたのだ、というハナビリウムのメッセージを、はからずもつらい形で思い出し、実感せざるを得ない気持ちになりました。

3)国際科学映像祭

国際科学映像祭のドームフェスタは、各国のプラネタリウムやドーム映像関係者がつどう世界的なフルドームフェスティバルの1つ。
これまでに色んな国からの参加があり、私自身も実行委員として個人的な繋がりを築いてきました。

そんな知り合いの中に、ウクライナでドーム映像制作に携わっている方がいました。彼はキエフにいて、ソーシャルメディアでは連日彼の知人やジャーナリスト、そして彼自身が撮影した映像などを投稿しており、彼の目の前で起こっている状況を発信しています。

リンクが共有できないので、ここで詳細を記載するのは控えておくけれど…、いっしょにドーム映像の世界で切磋琢磨してきた仲間のなかにも、今回の戦争に巻き込まれてしまっている人がいることを、より直接的に実感し、やはりもう、他人事ではないのだという思いを改めて感じています。

プラネタリウムに限らず、どんな分野においても、仲間との交流は、それが可能な平和な世の中があってこそ
当たり前すぎる前提だと感じてしまいがちだけど、いまはもう、そんなことはない。平和を望むのは、平和だったら体験できる普段のこと、をずっと守っていきたいから。


なぜ、私も「当事者意識」を持ちたいのか

もちろん、自分よりも遥かに大きな影響を受けている人はたくさんいて、そういった人たちと自分が同列に並ぶべきだ、というつもりはありません。

そういうことではなくて、当事者というのは、自分自身も(程度の差はあれ)直接的な影響を受けるステークホルダーであり、それゆえ自分自身の意見や想いも、当事者の一人として尊重されるべきものとなると思うのです。

繋がりのある人が直面している事態は、もう自分にとって他人事だと切り捨てるわけにはいかない感覚になるし、またそういう形で、わたし自身にも繋がりがあることを発信することで、いろんな人がいろんな形で影響を受けているのだという事実を、より多くの人と共有しておきたい。

「他人事(ひとごと)」って、自分と他人を区別して自分以外を見捨ててしまうような、ちょっと冷たい響きのある言葉…ですよね。

でも、その他人と呼ばれた人にとっては、それは自分ごと。つまり、結局世界の誰かにとってのおおごと、のはず。だから、その「誰か」のことを自分の仲間と感じることで、もう他人事、ではなくなってくる。


具体的な行動を起こすか起こさないか、という話の前に、もっと共通認識としてそういう自分の気持ちや考えの裏付けになる、個人的な想いの部分は、しっかりとさせておきたい。

そんな思いで、私自身も、ときにはあえて個人的なつながりから当事者意識を共有し、遠い世界の情勢も、他人事ではなく自分ごと、の1つとして受け止めるようにしていきたい、と思っています。


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