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すべてのひとに石がひつよう
……というのは、北山耕平さん翻訳の絵本のタイトル。
バード・ベイラー著『すべてのひとに石がひつよう』には、自然の中から自分のスピリットと共鳴する石を見つける方法、そして、その石と友達になる方法について書かれています。
パワーストーンも好きですが、原石というか、岩石も好き。
そういえば、私が生まれた土地の近くは石の産地でしたし、個人的に惹かれる場所というのは、たいてい岩場だったり石の産出地だったりします。
石や岩と自分を繋ぐ縁は、意外と深いのかもしれませんね。
そのせいか、旅した土地で自らいただいてきた石だけでなく、友人の手を介して石が手元にやってくることも多いのです。
それらの石は、室内のいつも目につくところに置いておき、ときどき触れて感触を確かめたりしています。
そういえば、私は偏頭痛に襲われると、なぜだかいつも石に助けを求めてしまうのですよね。
ベッドの中で石を握ると、すぅーっと意識が安らかになって痛みが和らぎ、いつの間にか眠ってしまうのです。
だから「すべてのひとに石がひつよう」というのは、何となくわかる気がします。
言霊・音霊というように、言葉や音には魂が宿っています。
石(いし)という言葉は、同じ響きを持つ「意思」や「意志」とつながっているように思えます。
自分の考えや思いを表現する「意思」、その意思を態度や行動などで積極的に示す「意志」。
そういった、人間の内側にあるエネルギーを引き出す力が、石にはあるのでしょう。
漢字変換をしていて気づいたけれど、石は「医師」にも通じていますね。
だから、石には人を癒す力があるのかも……。
あと、私が常々感じていること。
「いし」という音を「い」と「し」に分けると、「生(い)」と「死(し)」になるのです。
生と死を内包するものは、それ自体がひとつの宇宙であって、不変で永遠の魂が、石には秘められているのではないでしょうか。
そんな言語的アプローチでなくても、石というものは地球の歴史、もちろん隕石として宇宙から飛来することもありますから、宇宙の歴史も含めて、たくさんの情報を秘めた物質であるということは、容易に理解できるでしょう。
大鹿村の3億年前の地層や、アイルランドのイニシュモア島の岩盤の大地に立ったとき、そして英国エイヴベリーのストーンサークルに佇む岩石に触れたとき、地球の太古の歴史や、そこに息づいていた生物、はたまた前世の自分の存在を感じて、時空間の軸が大きく揺らいだような感覚になったことを覚えています。
それだけ、石にはたくさんの情報があって、石に触れることで、自分の体内に眠っていた記憶が引き出されるのかもしれません。
以前ご紹介した本(ドリーン・バーチューの『エンジェル・メディスン・ヒーリング』)には、著者と石(ストーンヘンジ)との交流が書かれています。
石は、ストーンヘンジでの激しい痛みや苦しみに耐えていることをわたしに話しました。
石はその苦痛を吸収していました。
わたしにははっきりと、石のなかに目、鼻、口が見えました。
彼らストーン・ピープルは、ここにきて彼らの前で悩みを打ち明けた神官や巫女たちの、腹心の友であったのです。
古代から、石は人間のよき理解者として佇んでいたのです。
たぶん前世の私も、そうやって石と語り合ったのでしょうねぇ。。。
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