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魂の故郷、心の原点

先月、大鹿村を訪ねていました。
中央構造線の真上にある大鹿村は、地球の胎動と歴史を感じることができる、お気に入りの場所。
大自然のエネルギーに包まれたい衝動に駆られると、必ずこの土地が思い浮かびます。
そして、そのイメージとともに、この曲が脳裏で流れるのです。

「故郷」(文部省唱歌)

兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川
夢は今も巡りて、忘れがたき故郷。

いかにいます父母、つつがなきや友がき
雨に風につけても、思いいづる故郷。

志を果たして、いつの日にか帰らん
山は青き故郷、水は清き故郷。

調べてみたら、作詞家は長野出身で、この曲は、どうやら長野の自然を歌ったものだそうです。
そう言われてみると、なるほど大鹿村の風景とピッタリかも。

この歌詞は、望郷の念を抱きながら、故郷に錦を飾ろうとして頑張っている人の心を歌ったものだ……と、ずっと思っていました。
ところがあるとき、ふと「魂の故郷という解釈もできる!?」と思い至ったのです。

そうすると、♪志を果たして、いつの日にか帰らん♪のところが、今生での使命を終えて、魂の故郷へと帰ろう……といった風にも聞こえてきて、個人的にはとても染み入るものがあります。

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大鹿村で、いつもお世話になっているのが、木造校舎を移築して作られた宿泊施設「延齢草」。
オーナーの小林さんは、私にとっては地層研究講座の先生でもあり、大鹿村の父であり、虹の戦士(魂の同志)でもあります。

小林さんは、純粋で、素朴で、実直で、人や動植物に向ける目は、厳しくかつとても優しい方です。
“清しき人”という表現がピッタリな人。そんな印象なのです。
小林さんの語る言葉には、自分の理念を忠実に体現してきた者だけが持つ重みがあって、ハッとさせられるような瞬間が随所にあります。

以前、庭に花を植える行為について語ってくださったことがあります。
「自分の庭を美しくする、居心地良く暮らすために花を植えるのと、人によく見せたいと思って花を植えるのとは、同じ美しい庭でも(動機のところで)本質的に違っている」

人によく思われたい、評価されたいという意識で行動してしまうことって、多々あります。
それで痛い思いをした経験も、私自身いっぱいしてきました。
不純な動機で動くことって、やっぱりどこかで自然と歯車がずれていくようになっているのかもしれません。

幸運にも私の周りには、純粋で誠実に人生を重ねている人たちがいます。
小林さんのような人に触れるとき、私の中の不純な、汚れた心が垢のように浮かび上がってくるのです。
それらは、この大鹿村にある圧倒的なほどの大自然の美しさ、雄々しさの中で、きれいに洗われて流されていきます。

いつの日にか、魂の故郷に帰るために、志をしっかり果たせるだけの純粋さを取り戻そう。
私が定期的に大鹿村を訪ねたくなるのは、無意識のうちに働く自浄作用なのかもしれません。

2021/08/07追記
延齢草の建物とその近辺で撮影された、石川かおりさんのコンテンポラリーダンスの映像が届きました。
石川かおりさんは、大鹿歌舞伎の義太夫として伝統を継承してきたお祖父さまの背中を追うようにして、大鹿歌舞伎を学ばれていらっしゃいます。
どうぞ、彼女の踊りと、お祖父さまの語りとともに、大鹿村の景色を味わってくださいね。


いただいたサポートは、人々や地球の癒しと成長に貢献する人やモノ・グループへと循環させてゆきます。ひとしずくの水が大海へと繋がっていくように、豊かさのエネルギーをここから世界のすみずみにめぐりめぐらせていくためのファースト・ステップに選んでくださるのだとしたら、大変光栄です💫