言葉には意思が宿ります 沖縄とハワイ
言葉といいうものには意思が宿る
僕はそう思う
そして それが #人種 #民族 #国境 を超える
言語の多様性のなかで
意識は 繋がると思っている
例えば #ハワイ 神聖な #フラ その神聖なフラを司る #フラハラウ
それは 神がその何かを伝えるところ
日本では 神事として ハラウ 祓う 神社のそれ
場所は遠く離れても 魂の意識は近い
ハワイには #カフ がいて 沖縄には #ノロ がいて
#ユタ がいて #カフナ があり
ハワイでは #ヘイアウ の存在は #グスク に通じる
グスク は 城と書くかもしれないが それはまるで違うのだと感じる
ヘイアウはグスクであり、それは #うたき かもしれない
御嶽と言えばこれほど 崇高なものはなく
ハワイでも学べば解る 存在がある筈だ
ニライカナイ この言葉も きっと
セジが高い ラキ
今日は このことば
#言い分 人間は何処か排他的で 自分の意見を貫こうとします
半ば、自分が勝手な意見を押し付けてる そう気づいても
なかなか それを 認める力はないのです
押し付けられる方にしたらどうにも釈然としない
けれど、相手は本気、こちらも本気
議論は、いつまでも並行線で、仮にどちらかが折れても同じ
何故折れたんだと、相手は言ってくるかもしれません
だから 言い分は 時に EVEN
だと 気付いたのですよ
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