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遮り、否定し、けれど、言わせて、切り取る


上手に生きるため


法務系のドラマを見ていて気がついた事があります。
それは、この社会で上手に立ち回るために、人は今日のタイトルに関係する行為をしてきたのだと感じるのです。
人は
#なりたい自分  
になるために

正しくないのに必要なこと
それは、決して 一つも胸を張れるような事ではない
けれど
胸の張れないことが何より鍵になる行為であること
仮に、それが出来なけば望む結果を得られない
だからこそ、身につけるべきなのだと・・・

これは、良くない制度だらけな世の中で、生きる術なのかもしれません

自己主張は時に命取り

自己主張は、それをして万人が認める人だけが、堂々とできる所作
けれど、社会的にそれを認められている者であっても、そこに同意、共感
さらに尊敬、崇拝 を得ることなど、実は無い気がしていて、表面では、総てを肯定されるような人間の主張であったとしても、相手の心根は、それを猜疑心で捕らえていたり、批判したり、実は反意が内包するのです。
だからこそ、権力者でさえも権威からのお墨付き、同感同意、公的エビデンスが欲しいのかもしれません。

対立する相手の言葉 (最大の味方がそこにあり)

例えば、議論を第三者が目の当たりにして、議論する双方の主張のいずれかがより信頼に足るかを見極める時、一方の主張を他方の側が一部分でも認めた場合、その認めていることを公にした発言は重いということです。
ある意味で、議論に立会い、議論する当事者ではない立ち会った者が、その議論の結論を決定する場合、その議論は決定権者に対する、アピール合戦に他ならないのです。そして、その勝敗を決するのは、決定的な事実は当然ながら双方が持つ主張と論戦に値するアピールするスキルだと言えるのです。
そのために、必要なのが  なわけですね。
■主張が正当であることを、具体的かつ合理的な根拠を持って説明する
■相手の主張に、何らかの矛盾や根拠が不十分で有るなどを指摘露呈させる
■相手側が出した、こちらに有利に作用する内容を、漏らさず公にする

このために必要なことなのです。
それが、 #遮り #否定し #言わせて #切り取る

具体的に

= 遮 り =
結論を先に述べない日本語は、冒頭部分では結論と真逆な内容から入る場合があります。それは、時に結論を強く印象付ける効果が期待できるのですが、限らた時間の中で、ましてや相手のある議論の中で、これをする事はリスクです。受け手側はこれを利用して、結論に入る前に一度、論調を遮ることで、結論は希釈され曖昧になります。

= 否 定 =
相手の主張には、先ずは短く否定の意思をあげ、その根拠を簡潔に反論

= 言わせる =
多くの言葉を発するということは、時にリスクです。
長い主張は論点が見えにくくなります。
相手の話を全否定しせずに、聞いている印象を与えるのも需要です。触りのない部分はむしろ、大いに言わせる事で、聞く耳を持っているアピールです

= 切り取る =
発する言葉が多くなれば、その中には自分に都合の良くない発言をするリスクも増えます。ただ発言させるのではなく、相手の話を常に聞きつつ、相手に不利な発言が出てきた時には、整理して切り取り、見極めて出尽くしたタイミングで切り取って使います。

論破でなく、合理的な正当性を作り出す

目的は、こちらの主張が相手よりも合理性があることを認めさせることにあり、決して論破が目的のディベートではないません。目的を果たせば、極端に言えば議論で負けても良いのです。
そこを見誤ってはいけません。
議論に勝って、目的を得られないのではなく
目的のためのシナリオを演じれば良いのです。

こんな事に、エネルギーを使うのはバカバカしい
真実は一つ 正義は勝つ
そんな 世の中であれば 無駄な努力です
けれど、この世界は、そんなに当たり前がまかり通る世界には
なってない

だからこそ、無駄なエネルギーをかけても
身につける必要がありうのだと思うのですが
皆さんは いかがでしょうかね


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