思えば、この企業は 1960年代生まれの私のいつも傍に居た Yama・ という
思ったことをここに書いています
僕ら世代とYとの不思議な関係 Yから始まるモノとの出会い 鎌倉に暮らした日々から 現在のマリンライフまで・・・
Yはとても不思議で幅広い
はじめてのYとの出逢いはいつ何処で?
鎌倉という田舎の町で生まれ
小町通りに店を生業に育った
当時は、まだビル的な建物は極めて少なくて、
通りには、1階が店舗、2階が住居という作りが多かったと記憶している。
今で言うところの、と書いておいて
その場所を説明するのが、とても難しい
というのも
店の入れ替えが激しくて、目標物が思いつかないから。
駅から来て、左に おもちゃ屋の 千代平 (ちょっぺい)を過ぎて、用洋傘さんの裏手には、小さな川が流れ、今は暗渠なのか? 反対側には 登見太郎さんの写真や、左に戻ると寿司屋の大繁、床屋のハッピさん このあたりに山本商会さんがあり、バイクと自転車を販売してた。
この辺りに銭湯があった記憶している。
我が家も、店舗の上に住居があったけれど、店から歩いて7分程度の大町にも家があり、ここが母屋で、風呂からか何から揃っていたので銭湯は、娯楽施設として利用していた感じ。
現代と同じで。
風呂上がりに飲むコーヒー牛乳が美味しかった。
で、話を戻すのですがY との出会いは
カブと呼ばれていた我が家のメイト(自転車・バイク)
先ず、店の業務用の小さなバイクがYだった。
名前は カブ そう スパーカブはHだ、なのに我が家のカブはYだった。この疑問に最初は気づかなかかった、長年このバイクがカブだと思っていたから。でも、これはカブではなく、Yのメイトであることが発覚。
当然のこと、買っているのは前出の小町通りのお店からだろう。
色んな意味で、このお店とのお付き合いは長かった。
⚪️クッションバイク 本物のバークの様な自転車 モトバイク のやや子供向け、弟の愛車だった。
⚪️モトバイク これは凄い自転車で、寺の階段の横にある縁みたいな所は登れるし、近所の寺の山門の階段の上からジャンプ出来るし。
その代わり、遅い無変速機の代物。
これ以外でも、ここで購入した自転車はかなりの台数で
ある程度の年齢になった後も、何故か、市営プールのアルバイトに通うのに便利だと言う理由で、赤いJOG を母がくれたのを覚えている。
最初は、湯沢に毎年行っていたスキー(スポーツ)
なぜか、スキーに行く時に担いでいた板がYだった。
父はYの板を愛用していた。
重くて、長い板だった
学生時代、ラケットショップでバイトしている時に、ヤマハのラケットはかなりの扱いがあり、あの女子選手も使っていて、大量のラケットがガット張りに回されて来たのを覚えてる。
精悍な作りのYだった。
そして、今はゴルフクラブ 常々使ってみたい インプレス
楽器 学用品から趣味に至るまで
これはもう リコーダーでチャンバラやりはじめてから、記憶だけで言うと、オルガン、鍵盤ハーモニカ、太鼓、ピアノ ですよね、すべたがY
物心ついた80年代、 #YMO が流行り、鍵盤が大流行 #ポータサウンド
#東風 #ライディーン でしょ。さらに、SG-1000 を買ったのも高校時代。横浜西口のYの店に入り浸ってた
音楽 楽器だけじゃなく 音楽業界の発展も
#ライトミュージックコンテスト も #ポプコン も Yでしたね
そして小型船舶 海とは切れない企業だ
私の人生の中で、かなり大好きな分野
#小型船舶 #船舶免許 を取得するきっかけはYさんの 六本木ヒルズで行われた カード会社とのコラボの無料イベント #マリンクラブ・シースタイル での楽しみなど
落ち ここまで面倒見てくれるの???
こうなると、FRPと木工では、何より強いYさんですから
私の棺桶も いずれは Y の製品で?
おわりです
#鎌倉 #小町通り #スーパーカブ #JOG #マリンクラブシースタイル