“嫉妬”が生み出すもの
“嫉妬”の本質は、
結局“羨望”と“恐れ”なのだなと
最近強く思うようになった。
それは良くも悪くも作用して、悪い方向だと「理由なくアンチになる」となり、良い方向だと「チームに加わって一体になる」。
「理由なくアンチになる」を選択してしまった人の心の奥底には「その人には敵わない」というものが横たわっていることが多い。そしてそのことを本人が自覚していないのだ。
これはハッキリ言ってダサい。
これと逆に人間力の高さを感じるのが、「チームに加わって一体になる」ことを選択する人たち。
この人たちに共通する素養で顕著なのが、自分たちで
「知らないこと」
「わからないこと」
「できないこと」
を理解できている、ということ。
そしてそのことに対して謙虚であること。
だから身内以外の人たちを活用する技に秀でている。使われるのではなく、使い倒すのである。その時点で、その人の成長速度や深度は、理由なくアンチになってしまう人たちのそれとは比較にならないほど。なればこそさらに距離は開いていくのだと。
“嫉妬”そのものは悪ではないと思う。
しかしその使い方や捉え方次第で、プラスにもマイナスにもなってしまうのだ、ということを理解していた方がいいのではないかしら、と感じる師走半ば。
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