目には見えないが必要なのは間違いない“そこにある何か”
先日、とある方々と打ち合わせをしていた時に、それまでずっとモヤモヤしていたものが言葉にするとこういうことなのか!という出来事に遭遇した。これもひとつの「言葉のチューニング」であろうと。
それは「中央集権型は共感が生まれづらく、信頼も育まれにくい」が、「自律分散型は信頼関係が軸なので共感が生まれやすい」というものから始まった。
これは今の働き方にシフトチェンジしたことにより、日々痛感していること。縦割りの中央集権型は横串が刺しにくいので共感を生むには課題が多いが、自律分散型はあくまで一人一人が「自律」しているので、縦とか横とかそんなレベル感ではなく、全方位的に串通しができる。そして全方位的なので「ネットワーク化」させやすい。
これは「知っている人を知っている」というだけでは成り立たない。これまでの時代においては「知っている人を知っている」だけでも価値はあったのだと思うけれど、現代にあってそれだけでは全く意味をなさない。
自律分散型のネットワークでプロジェクトをまわしていくということにおいて、絶対に外せない要素がある。それは次の2点だと考えている。
1.最初に契約をしっかり締結し、走りながら契約内容を柔軟に見直していく。
2.パートナーへのリスペクトを欠かさない。
このどちらかが欠けてもうまくはいかないと思う。自律分散型の基盤になるのは「信頼」だからだ。つまり信頼関係が構築できない相手とは、ネットワーク化しづらいのでは、と考えている。
時代はVUCA(VUCAとは「Volatility(変動性)」「Uncertainty(不確実性)」「Complexity(複雑性)」「Ambiguity(不透明性・曖昧性)」の頭文字をつなげた言葉)の時代に移行している。そのVUCAの時代に求められるものとは何なのか。
これまでは圧倒的にモノが不足していたので「作れば売れる」とされていた時代だったが、今はモノも情報も溢れている。(ここに、知っている人を知っているだけでは意味がない、ということの理由もある)
そこで求められるのが「問題」であり「意味」なのだが、まずこの「問題」を探る能力というものは、言葉にするとシンプルなのだけれど、シンプルなだけに極めて難易度が高い。
そんなVUCAの時代においては、曖昧で不確実な状況の中で「問題」も埋もれがちになる。そのような状況にあってまずは「問題」を発掘し、しっかり「意味」をもたせながら「目標」に向かっていくというプロセスを辿る。言い換えると、まずは「その一連の流れそのもの自体がプロジェクトなのである」という認識を持たねばならない。
そして企業や団体がこの「プロジェクトを立てられなくなっている」ように感じる。そして当然のように「リサーチ(調査)をすることで答えが出てくる」ものと考えている傾向すらある。たしかにリサーチで導き出せることもあると思う。しかし新規事業企画や事業戦略を模索するにあたり所謂大手コンサルによるリサーチだけで答えは見出せない。もちろん、大手コンサルによるリサーチは、凄まじい精度だし、そんな角度から聴きだすのか、という驚きと感嘆に満ちている。
不確実で曖昧な、混沌とした状況を一足飛びに飛び越えて正解を見つけるなどといった都合のいいシチュエーションなど起こらない。まるで泥沼のような環境に敢えて飛び込んで格闘し続ける生命力と知恵が必要なのだ。
あとはその状況に企業や団体側が耐えられるか。そのプロセスを端折ってしまうと、優秀なリサーチ結果の分析から得られるコモディティ化されたものしか手繰り寄せられない。そこに差別化要素は無い。
現在(これまで)お仕事ご一緒している方々には「もはや何を依頼しているかわからないのだけれど」と言われつつも「チームにいてもらわなければならない」とも言っていただけることは、とても時代を象徴していると実感する。
不確実で曖昧な環境に光明を差す為には、必要となる情報収集力、人脈の豊かさ、構築力、調整力、翻訳力など数多くの職能を総動員しなければ事態は前に進まないだろう。
所謂「なんだかよくわからないけれど、あの人に任せるとなんとかなっている」という性質のもの。
目には見えないが必要なのは間違いない“そこにある何か”
それこそが
【プロジェクトをデザインする力】
ということなのだと考える。
ようやくここに、辿り着いた。
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