中央の権威が失われつつある
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最近のニュースが面白い.中央(国際団体,政府)の言うことを下部組織(各国,国民)が聞かなくなっている.WHOのテドロスは「途上国がまだだから3回目打つな」って言う.「そんなん知らんがな!そもそも,パンデミック初期で武漢や中国からの人の行き来を規制するなって言ったお前が言うなよ!」と言わんばかりに,イスラエル,フランスで3回目ワクチン接種.オリンピックやりつつ外出するなという日本政府と,それを守らず外出する国民もそう.
新型コロナウイルスのパンデミックから,急速に脱中央集権化と言うか,自律分散化の流れがきていると感じている.興味深いのが,このトレンドが様々な社会的なレイヤーで起こっていること.この流れ,僕のロボットの生物模倣型の自律分散制御と非常に近い部分があり,またロボットの自律分散制御をどのように社会に実装するか?を模索している研究者として,非常見興味深く見守っている.ここでは,この文脈で,僕が読んできた本を紹介しつつ,このトレンドに関して議論したい.
貨幣の脱中央集権化
分散型台帳技術を使い中央銀行の関与なしでも,ネットに繋がったスマホやPCさえあれば価値の交換や移動を可能としたビットコインはその筆頭にあげるべきだろう.ビットコイン価格は対法定通貨価格では2017年頃バブルになって弾けたが,コロナ禍で各国政府や各国中央銀行がお札を擦りまくることによって法定通貨の価値の下落を不安視した人たちが,資産の数-10%とかでリスクヘッジのためにポートフォリオに取り入れ始め一気に高騰した.(ちなみに,分散化されていない仮想通貨もたくさんあるので,注意が必要)
分散型仮想通貨が流行ると自分たちの立場が危うくなる中央銀行,銀行系の人たちは,「ボラティリティがでか過ぎて(値動きが激しすぎて),価値保存的にもつかえねー.取引に10分以上かかるので決済としてつかえねー」って様々なメディア駆使して散々ディスってはいる.そもそも,お金の機能は,価値交換(決済),価値保存,価値測定である.その基本的な機能が分散型仮想通貨には無いと主張しているいるが,その不備も解消されてつつある:資本規模が大きくなることでボラティリティが下がったり,ライトニングという決済機能に特化したセカンドレイヤーを作って価値のやり取りをする開発が行われていたり.
アダム・スミスの見えざる手を信じるのであれば,貨幣は分散的アルゴリズムであるべきではないか?グローバル経済,グローバル社会なのであれば,何故貨幣はグローバルではなく国ごとに分かれているのか?(用途ごとに個別貨幣があるのは理解できるが,国ごとに別れる必要は?)貨幣を国が管理するべきものであるならば,そもそも社会基盤である貨幣に対し,何故選挙で選ばれてもいない人たちが,勝手に金利を決定したり,為替の手数料を掠め取っているのか?ビットコインはじめとする分散型仮想通貨の仕組みを知れば知るほど,分散型で貨幣作れるならこれでよくね?キプロスのときも機能したじゃん?ってより多くの人が思い始めている.
世界観の自律分散化
マルクス・ガブリエルが唱える新実在論は,我々が世界は1つという考え方を覆すという意味で,自律分散的思考と言えるだろう.ざっくりいうと,「世界は複雑すぎるので,そのすべてを統合的に認識,理解できる事はできない」ことにより,ある物語やメカニズムだけによって理解される「世界」は存在しないことを主張している.そのような「世界」が存在しないことを考えると,万物を司るルールや万能な知能は存在しないことになるし,異なるルールに支配された個別の世界をまたいで適応的に振る舞うには,自律分散的な世界観や知能が必要ということになる.哲学の観点でこれを言い放ったのは大きいと思う.
組織の自律分散化
組織の設計の仕方も自律分散化のトレンドもある.ティール組織の特徴をざっくりというと,中央集権的な権限を集中させる組織内の上下をなるべく作らない組織の運営方法だ.予算執行やある行動を実行するか否か?などの意思決定をする場合,その意思決定を行いたい人は,その意思決定により影響を被る人間だけを集めてアドバイスを受けることがMustで,そのアドバイスを基に意思決定を行う.意思決定が分散的であるところに着目ていただきたい.ちなみにこの本によると,このような自律分散的な組織の運営方法は,中央集権的な組織よりも文化や民度が発達しないと実現できない,より高次の経営であると述べている.
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如何だっただろうか? 20世紀は成長を名目に中央集権化が進んだのだが,21世紀でもそれを延々と突き進んでも,気候変動とか,権力や富の固定化と腐敗とか,高齢化とかで,うまく機能しなくなってきている.成長や生産性の向上とは別の価値指標を複数,矛盾してもいいので分散的に各組織や社会が実装し,実験する必要があるのではなかろうか?