時系列作文とハイコンテクスト文化が子供たちから考える力を奪っている
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現在,前期のレポートなどの採点業務を行っているが,学部生の作文能力がひどい.ただただ自分の経験や考えたことが時系列に書かれており,情報がまとまっていない.読者を想定せず,何が言いたいのかわからない.言葉や用語の選び方もひどく,時に間違っている(例えば応力と力や歪と変位がごちゃまぜになっていたりする).我々大学の教員のタスクは,論文を書くこと,論文を書けるような科学と論理思考を身に着けた高度人材を育成することだが,特に(日本語であっても英語であっても)文章を書く事に対し,高校生までの教育がここまでひどいと厳しいものがある.
原因は2つ:(1)時系列作文;と(2)自分とは違う文化(年齢,宗教,言語,性別)の人とコミュニケーションを積極的に取ろうとしない村社会(ハイコンテクスト文化),である.この2つが,作文能力のみならず,日本人から考える力を奪っているとさえ思う.下記の動画で,かつて私立中学のお受験で失敗した生徒ばかりが集まった麹町中学を日本一入学させたい中学に改革した工藤先生がおっしゃるとおり,日本の義務教育は全般的に手段の目的化がひどい.それが時代遅れになったとしても,思考停止し,やり続けている.
時系列作文の何が悪いか?
基本的に時系列に書くと情報がまとまらない.論文を書くときは,どうやったら駄目で,どうやったら機能するのか?の境界を探さないといけない.これを,時系列でレポート出されたら・・・それを読む方はたまったものではない.しかし,大学1年生のだすレポートの8割以上が時系列作文である.僕は東大でも学生を指導したことがあるが,東大の学部生も一部の優秀な人を除き例外ではない(論文が時系列作文で書かれており,論文構成を1から組み立て直す必要があり,大変だった).理系の論文は,イントロ,提案手法,実験結果,議論,結言で構成され,読み飛ばしができるようになっている.しかし,学生には時系列作文が浸透しているので,提案手法の中に実験結果が書くという「は?」ということが多発する.彼らが悪いのではない.彼らはそういう文章の書き方しか知らないのだ.
情報をまとめるにはどうすればいいか?答えは,パラグラフ・ライティングを行うこと(下記のリンクがよくまとまっている).パラグラフ・ライティングをざっくりと説明すると,段落(パラグラフ)ごとに,言いたいことは1つに絞り,段落の一番最初に,その段落で言いたいことを書く.その段落の他の文章は,その言いたいことを支持するサポートセンテンスを書く.これが小論文や,論文を書くときはこれが基本の「き」で,この書き方でないと良い英文誌には載せてもらえない.日本人はこれとは逆に一番大事なことを一番最後に持ってくる論文構造やパラグラフの構造を取りたがるが,そのようにして書かれた日本語文章を,英語の文章に訳しても高い評価を受けることはない.なぜなら,英語圏では,パラグラフ内の文章の位置で,著者がその文章をどれほど大事だと思っているかを読者は推し量るからだ.外国人の印象としては,なんだか面白いことをパラグラフの最後や結言で言っているが,著者はこれを大事なことと思っていないという受け取られ方をする.結果,なんだかよくわからない論文という烙印を押される.
パラグラフ・ライティングを採用して文章を書くメリットの1つは,自分の考えが整理されることにある.パラグラフ(段落)がプレゼンスライドだとすると(どちらも言いたいことは1つ),パラグラフの第一文は,スライドのタイトルに当たる.この書き方のすばらしい点は,その段落で言いたいことなのかを強制的に内省させられることにある.そして,この書き方がされているので,英文誌は飛ばし読みができる.(すべての段落の一番最初の文章だけを読めば,大体のロジックがつかめる)その意味で,書き出しは非常に重要だ.ちなみに,僕の尊敬する研究者の一人はアブスト(概要)をRecentlyで書き出す英論文はクソだと言っている.
大事なことは前に持ってくるという構造は,人種,文化,宗教などが混じり合う文化の言語である英語の文法にも当てはまる.Yes, I can. という文章を見ても,まずYesかNoかを答えて,誰が,何をする,構成で他人にとって重要な単語の並びであることがわかる(短く,わかりやすく文章を書け!と教える傾向は,イギリスと言うより米国に置いて特に強い)対して,日本人は重要なことを最後に持ってくる(YesかNoで答えられるのに,そのYesかNoの返答を最後に持ってくる日本人の何と多いことか!).時系列作文は,日本人的に経験やエピソードを共有し,固定した均質な人間同士が長時間かけて人や物事を判断するゆっくりした流れの時代や社会(ハイコンテクストな社会)では良かったのだろうが,人材の流動性や社会変化が激しい状況(ローコンテクストな社会)では「結論から聞かせてよ」と言いたくなる.ビジネスの場で求めれられるコミュニケーションも,「結論から話せ」ではないだろうか?みんな時間がないのだ.
パラグラフ・ライティングのもう一つのメリットは,パラグラフがモジュール化するため,どのようにロジック展開(言いたいことの連なり)すれば良いかも推敲しやすくなること.ロジック展開を変更するにはパラグラフの順番を変更すれば良いことになる.より,ロジックのつながりや順番に意識が向くようになり,どうロジックを設計すれば他人を説得しやすいか?言いたいことが伝わりやすいか?に集中できる.(対して,時系列作文では,ロジック展開が推敲できていないので,誰に何を伝えたい文章なのかがあやふやになる)
ここらへんの話は,ビジネスの場では「クリティカル・シンキング」とも呼ばれる.論理的にいかに物事を考えるか?整理するか?自分の言いたいことをいかに論理的に説明するか?など.僕は下記の本がおすすめ.僕が大学生の時にグロービスでインターンをした時だいぶ読み込んだ.
自分とは違う文化(年齢,宗教,言語,性別)の人とコミュニケーションを積極的に取ろうとしない村社会構造の何が悪いのか?
情報の伝達とは,相手が知らないことを伝えることにある.お互い知っていれば,(共感は重要ではあるが)共感しか生まれない.つまり,情報を伝達するときは,相手が何を知らなくて,自分は何を知っているか?がはっきりしていないといけない.しかし考えてみて欲しい,高校までの義務教育で,自分と相手の情報格差(情報の非対称性)を意識させられることはほぼ無い.同じ地域からの,同じ年齢の,社会経験もない若い人たちが集い,学力的にもほぼ差がない子供たちが集められる.
そのようなハイコンテクスト文化と呼ばれる場では,自分が言いたいことが伝わらないことに悩み,工夫することが少ない.親も,教師も,同級生も,先輩も,後輩も,自分が言いたいことを推し量ってくれる.新しい人が入ったり,出ていったりと言った人材の流動化は低く,情報は共有されているため,ロジックが正しいか?否か?よりも,共感がより重視される.結果,日本人は重要なことを最後に持ってくる.重要なのはロジックではなく,空気間となる.結果,新しい情報や新しい考え方を伝達する文章を書く訓練が行われない.
今の社会で求められるのはローコンテクススト文化のコミュニケーション
おわかりだろうか?時系列作文を行うと,何が自分のいちばん伝えたいと思っている重要なことか?を考えず,ロジック展開の推敲も行われない質の低い,情報の整理されていない文章になる.加えて,文章を書く学生は,自分とは違う背景や文化を持った「誰」に「何」を伝えたいか?を意識して文章を書くことを求められることが極めて少ないのだ.対して世界は,グローバル化し,格差化しており,文化も価値観もバラバラなローコンテクスト化しつつある.
グローバル化・格差化し,ローコンテクスト化する社会で,集団が意思決定を行おうとする時,自分の持つ考えを吟味せず,ロジックのつながりも気にしない時系列作文教育を受けた人たちが,自分と他人が違う文化も持つ人達と合意形成できるだろうか?日本人が,なぜ空気を読む民族になっているか?も,今のマスコミのロジックの正しさではなく空気感を醸成しようとする報道も,日本人の高校生までの教育に,考えをまとめ,ロジック展開を練った,自分とは異なる文化を持つ人間にも伝わる文章を書く教育をそもそも受けていないことで説明できる.
今後の世界では,ハイコンテクスト文化のコミュニケーションではなく,ローコンテクスト文化のコミュニケーションが求められるが,日本の理系教育では研究を始める大学4年生からしか受けられれない.高校までの学校教育でやってほしいが,英語での実務経験でも,民間のビジネスでも揉まれたことがない今の教師にそれを求めるのは酷かもしれない.でも,これをなんとかしないと,どうにもならない.