見出し画像

こんばいーーん

”何が先か”、”どちらが先か”、という事は、私には解らない。

例えば、落ち着こうとしてお湯を飲んだのか、お湯を飲んでいる事に、ふと気づいた、のか。

メモも日記もいっぱい。途中でもその時点までを記す。それが続くかどうかも分からない。

湧いては消え、湧いては消え・・・

次々現れるから、忙しいのだろう。

でもそれは、ちゃんと消えても行くものだろう。


ちょっとまとまらないものを、並べていきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(昨日、夕寝時メモ)

ウス青白い光の中なんだ。

ワン達が何かに反応して騒いでいてうるさいと感じている。

目も開けられずにそのままいると、その中にいた。

「火なんだ…、火の中…ついたんだ」

そう感じている。

ワン達の声が遠い。

騒がしいけど起きられず、遠くに感じていた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

フォーカスの力/フォーカスの場所

フォーカスの部分は、「この現実」じゃない。

無意識部分(に近い)所へのフォーカスだから。

「目の前が変わっていない!」

「何でこんな事が起こるんだ!」

という、こちら側「顕在側」で見る、不満・執着が少なくなっていると気づいた。

自分で説明できる段階=振り返ってその状態、「そうなっていた」というモノ・コトに、言葉がつけられるようになっていると気づく。

更に引いて、引いて観て。

同じ事だね。大きな世界、自然への観察も、「状態に言葉をつけている」と書いた事も、これと同じ事。

そうなっている、そうある”状態”というものに、このニンゲンの世界では言葉をつけて、この言葉で、表面のやり取りを便利にした。

だから、便利な言葉から、深くを探って行く事は難しく、もしそれが出来るならば、そこまでの経験はある、既にあったという事。どちら側からでも”合えば”両輪として、スッと肚に収まる。

(このフォーカスの話は、意識的な使い方の話で、”今ココに生きる”という、瞬間瞬間を大切にする、という話とは別の事。もう少し広がるけど、その話はまた)


片側だけで終わらせず両方へ、反対側へ行ってみる事、両方を動かす事が、文字通りの「世界を広げる事」となるのだろうね。

正解がないのだから、どう思ってもいい。

何かのカタチに想いを合わせるのでなく、自分の想いにカタチを引き寄せる。

↑↑↑これに繋がったと思われるメモは前日にあって。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

何で、「”自分”には力がある」って思うかって。

なぜ、自分は素晴らしい存在って思うかって。

自分軸が太くなると、基本的に「その目線」にしかならなくなる、というごくごく当たり前の話。

他者目線で見ると、同じような事が起きていると分かるのだけど、今度はソレを意識しないと「他者目線」になれないから。

自分中心=自分軸

これが通常のスタンスになる。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

上記を補足すると、シンクロ的な事は、当然ながら誰の目線においても起きている事で、”その人の目線で見た世界として私を見ると”、「シンクロしてるなぁ」と同じように思うから。その人自身の目線で言えば、もっと広い範囲においてそれは起きている、とも言える。


そして、私は”自分を優先”という考え方は書いてきたと思うけど、自分中心、自分軸という言葉はあまり触れて来ていないと思うのだけども。

これも自分に湧いた状態に、世間の言葉をつけたら「そうなった」という事で書いた。

言うまでもなく、この「自分」は各々”自分自身”の事。私だけの話じゃなく、それぞれの力の話。

だからいつも私の書いている事は、目新しい事ではなくて、ただ少数派の進んでいく方向が、逆からだからどこかその様に感じるだけで。


”世界”ってこういう事なんだろう、とも思っている。

世間を流れる大勢があって、ならば当然少数も存在していて。大勢に飽きてくると、少数のような目線が物珍しく、新鮮なように感じ、それが次第に少しずつ、大きく強い流れになっていって。

そんな風にこの世界では当然、「人」が流れを作っていく。

きっかけは、ニワトリでもタマゴでもどちらでもいい事で、そして辿り着く所、目指していくものも、プロセスは違えど結局、”これの事か”、”あれの事ね”、となるだけ。


そしてまとめてしまうと、状態を知っている者によって、「上手に言葉でまとめられてしまった世界」が、俗世間の多くを占める。状態を”知っている”に留まる者によって説明されるそれらは、「言葉から深くは入っていけない」という、冒頭の内容に繋がる。

『言葉は便利な分、何かを省略できている』

(ボソッと言うと、これらの書いた事、全部バラバラに思いついて、都度メモしている事。こうして今日の記事に書いた事が全体として繋がっている、と視える。

こういう事から、自分の意思で選んで書いたように思っているけども、”背景”に抱えるものから自然と「書かされている」という風に表現する事が出来る。

背景は全て、繋がっている。

そしてこれは、「どこまで」という境がないんだよね。)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今日は父の転院。今週はちょっと忙しくなる。

一つ一つ片付けていく。


追)以前口ずさんでいた、”コンバトラーVの歌”。「コンバイン」の意味なんて、”草刈り機”のイメージしか持っていなかったけど、

「結合して一体にする。”結びつける”こと。合体させること。」

と知って驚いたよ。

その時は意味を知らなかったその後に、ちゃんと「結びつけ」の事を記事にしているからね。

この、脳のハタラキ(意識の働き)に日々、感動しているわけです(*^^)v



いいなと思ったら応援しよう!

☆うみのみか☆
応援チップありがとうございます。自然と学べる記事の提供で倍返しいたします!コメント頂ければ内容を盛り込んで記事として出力いたします。 共に学んで参りましょ~(*^^*)