内側と外側、別の世界
「あーっ、オレ、気づいたら胡坐かいてた!!」
大腿骨骨折から手術、リハビリ、職場復帰を果たした我が家の主人なんだけど。
まだ職場に戻る前の、自宅でストレッチなどを行っていた時の会話で、”胡坐がかけなくなった”と聞いていた。「ここまでしか行かない」と。
可動域が完全に狭まり、脚が大きく開かないため、胡坐をかいて座ることも出来なかったみたいなんだけど。主人も私もその会話以来、その事について触れる事もなく忘れていた。
それが。
買い物から帰宅して一段落中の主人が、ぺたんと座った自分の無意識のその姿勢に驚いて口にしたものだった。
「気づいたら」
これこれ。主人がけがをする前の、私の腰を痛めた時のことがまた思い出される。本当にあの時のことが後の主人のケガのこととリンクすることが多くて、「身体」という、人の「意識」というそのものを、私~主人という他者を通して共通を見ている。
『私もそうだった~、そうなんだよね。やろうとしてやってみたんじゃなくて、”あれ、この姿勢(動作)が出来てる!”って、それを見て自分が気づくんだよね(*^^*) やれちゃってるって後から”自分が”見るんだよね(笑)』
自然と行っていたその胡坐を改めて見せてくれた。脚は反対側と完全に同じ開き具合にはなっていけども、かなり床に近い状態にまで膝が近づいていた…だから気づかぬうちに”胡坐”の動作がとれている。
『良かったね、おめでとう!良かった良かった。仕事を始めたからだね』
「うん、オレもそう思う(^-^)」
仕事で動くようになって、それが自然と本格的なリハビリとして機能している。意識してやることより自然と身体を動かす日々となり、「そこをどうこうして動かそう」という事から入らずに、”でも確実に動いてしまっている”という状態になっている。
シャワー後などはしっかりと身体を解して、使いっ放しにしないようにしている事も目にしている。動き出しなども必ずゆっくりと丁寧な動作から静かに入っている事も日々見ている。
動けない、出来ないと思っていた事が出来ていると思うと、本当に嬉しいはず。これは本当に良かったな…と心から思って肩を叩いた―――
『モノゴトには胡坐はかかないでね( `ー´)ノ』
嬉しくなって調子こきやすい主人に釘も刺しておいた。
昨日、内・外のことに触れたので、少し書く。最近特に何度もその事は頭に浮かんでいて、メモ自体はふた月以上も前にある。
ウチソト。これに絡む事象は色々あって、色々どころかこんな事ばかりだと思う。走り書きのメモより今回はコンパクトな要点だけ少し書いてみる。
本人(当事者)が言わない方が良い、ということ。
これは結構なんでもそうだと私は思っている。経験からと傍から見ている時と、両方で感じる。
真実とか本当のこととかいうものは、本当にそのまま外に現れて良いはずのものなんだけど、世界(外)はそうなっていないから。その世界の中にあるのが「人」の存在で、人は世界に対してというより、そこに居る「人々」を相手にしなければならずに、”それ”を見てあり方を決める(考える)から。
その事は当然のこととして世の中を見ている人達はたくさんいて、そういう所で、表からでは見えない見えにくい様なサポートをする事で向きを変えるようにする。私はそれが最大だと、今のところ、多分この先もそうだろうと思う。
世の中のここが悪い、ここを直せば…。それを解っている人々はきっと沢山いるし、仕組みも理解しているから”そうすれば良い”ことも描けるのだろうけども、やはり現実という世界は頭の中のものとはまったく違う世界なので。頭の中の方向転換のように簡単には変わらない重さがある。
(何かについて)正確なのは「当事者」のはずなんだけど、それを援護する”味方”も、当事者が合っていれば同じく合っているはずなんだけど。それを同じ「内側の人」というポジションで”言ってしまう”と途端に外側が生まれてしまう。それも強烈に。
たとえ正しくても。本当にそうだとしても。その円の中「内側」にあると外が見なせば、内・外という境界を挟んでの思いが交差するだけ。どちらからも「反対側」が非常に見えやすい状態、位置になるため。
”中立”というものの見方、姿勢があるけどもそれも良いかもしれないのだけど、本当に”その事”を見ようと思ったら、頭の中の傾きと「逆」の方へ行って見た方が見えてくるんじゃないかと思う。通常”ものが見える”のはそもそも、「自分の傾きから」が多いのだから。
その場に行くと見えるものが違う、”分かる”というのは、こういう事でも同じことで、自分の傾きを持っているからこそ、”逆側”が何かは見えているはずなので、向き(見る方向)は変えやすいと思う―――。これは同意する事とはまったく違う。「自分の見方の逆を知る」という意味での、そこを見るということ。
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全然コンパクトでなく、要点にもなっていない入り口で、周辺話へズレて終わってしまった。明日、続けて書いて行きます。
(一日大体、2000字を基本にしているため、長引くならば切っています)