氣のコントロール
「持ってきた朝飯食わなきゃよ~~…」
先日、ワン散歩中におじいちゃんの声が届いた…昼のサイレンはさっき鳴っていた。
「(*^^*) おもしろいなニンゲンて。それは”昼ご飯”にならないのか♡」
もう一方、そばにいたようなので、色んな想定ができるけども、その時私はそんな風に思い、内心で笑わせてもらった事を思い出した…。
どうしてこうも誘引力が強いのかねぇ、、、チャーハン。ワン達のおやつが終わってから食べたから、昨日は遅くなった昼ご飯に冷凍チャーハンを食べた。フライパンで、最後にレタスだけ足して(*^^*)
ぺろりと完食。「少し残ってるから、レンチンで食べちゃおう!」って、皿に移して、(うわっ、さっきよりもある~…)って内心思ったけども、も、も!
減るよね、量が(笑)しっかり完食♡「ハァ~お腹いっぱい!」と、少しの洗い物をしながら時計を見ると、4時。
「・・・夜、しゃぶしゃぶだけど、おいしく食べられるかしら・・・」
夜ご飯の心配をする自分。
早い”夜ご飯”には、どうやらならないらしい…(;´・ω・)
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私は何かを習っていたわけではなく、自分の意識している(されている)事を書くとこうなります、という程度のものです。
【氣(エネルギー)として存在している】と言い切ります。
物への思い入れ、人・生き物への思い、そこに氣を注いでいる、使っている。思い入れた分だけ対象がなくなった時の自分への衝撃が強くなる。
(両親の離婚でそばに母がいなくなった事は、当時の私に深い悲しみを与え、それとしっかり向き合った数年前まで、思い出せば「悲しい」は続いた。その心、失って傷ついた心を癒し再び満たすのは自分自身のみできる事)
以前私は、可愛いし手作りしているだろうに、とか、でも捨てるのが何か切なく…でも再利用する予定もなくなったので取っておいたワン達の首飾りを全て捨てた。
トリミングで着けてくるこういうやつ↓
使わないのに、なくても困らない、普段に目をやる事もないのに、「ナゼ捨てられないんだろう…」と考えた時、そこに自分の氣(思い)があるから(残っている)と思った。
「誰かの手作り…」という少しの、外からの氣を受けつつ、殆どが自分がそこに入れた「氣」があるから、目にするとそれを感じて失う事を拒む。
ハッキリ言って捨てようがとって置こうがどちらでも良かった。ただその時は「使ってなくて放置しているものを処分」という事に意識を置いたので、キッパリ捨てた・・・
この時は後悔も、寂しさもなく、どうという事も特になかった。ただ自分の氣が残っていた、というケース。
ソコにあれば、思い出したり触れた時に、自分の中から出て行った「氣」だから、繋がり、「回収したい」理屈もあるのだろう、無意識にでも。
喪失感と言うのは意識されている以上に強く、それを分かっていても対象と深くかかわる事を選ぶ人もいるし、もう二度とそんな思いはしたくない、と遠ざける人もいて様々。
何かをする時、「できる、できてしまう」と言うのは少しばかり厄介で、私は短い父との同居の時に、今までにない生活リズムと氣遣いで、毎晩潰れるように眠った、主人もワン達も。
私みたいに、自分の譲れない範囲をしっかり守っている(と思っている)人間でさえも、かなりの氣が使われている。「余力」で行うという事が大切、という事はアタマでは解っていたはずなのに。
人間て、とても優しいんだと思っています。そして何だかんだ言いながら、人の為に何かをしている人が多いものと思います。余っている力でやっているつもりがいつの間に、”自分の中へ”割食い始めている事も普通にあります。
余力を持つことって、かなり重要です。自分の中の氣が萎んだら、しっかり慌てず満たしてから、外へ氣を向けていくのが順序です。
外からは包まれるだけで、「張る」という事ができるのは内側のエネルギー、自分だけです。
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上記と無関係だけども、上がって来たので時間のある方はどうぞ(約10分)私には非っ常におもしろかったです(*^^*)