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ここに集める”力”

”ここ”という所にいること
それ自体に相当な力がいるのだろうね

無意識で行っている状態なので、”私”という存在が「力を使っている」自覚などはないものだけど。

でも、→という向きその流れのことと、←というこの向きのことを少し考えた時に、この「ここ」という現在地(場)の貴重なこと、難しいこと…。

難しいという表現もまたただの表現になってしまうのだけど、人の持つ機能はそれだけ緻密な性能は持っているということ。”性能は持っている”ということ。

これが、”私”という存在による築き上げてきた「流れ」がある事によって、まず逆側からを観ることが結構難しかったり。観ることはできてもストーリーを変えてしまったり、”区間”をズラしてみたり…と「時」を絡めたことの運用は、人にとって難しいものなのだと少し分かったような気がした。


「今・ここ」という言葉があり、今というこの場にある事・気を集中するというような在り方、意識の持ち方というものがあるけども、やはりこれも意識の世界(自覚の世界)で行うそれとでは”みえるもの(感じるもの)”は違うだろうと思う。

私はいい加減なもんで、今ここという事も少し”やってみた”とは思うのだけども、その時この自分が感じていた感触と、今私が感じている「今・ここ」という所の感想とでは、異なることからその様に書いている。

感じ方が違う理由はいつもと同じように、
・以前のような結び方を頭ではしていないから
・居る場所が違うから(層が今までと違う)

というような、表現は違うけども脳内に浮かんでくるもの、こちらに今押し出されてくるもののそれが、以前とは違う感触を持っていることから。以前はそもそも”ナンチャッテ”くらいしかやっていなかったとも。

以前という過去から今という場所までの「その中(流れ)」で、入力した諸々が加わった上で結び方の違うものを視ている(感じている)と言えた。

・・・

表現で普通に、過去ー現在ー未来などと使用するけれど、言葉の意味を飛び出したその存在に、これらのラベルが付いているわけじゃない。”私”というこの頭の中において自然に割り振られている区分け。

”過ぎて行った”と思われるそれに対し”過去”とするけども、それを持ち出しているこの場は「今」という現在の場であって、頭の中に並んだ情報を引き出す際に、ここから外れたものは過去の対象として引き出される。

「過去のものを、”ここ”という今に持ち出せるならそれは”今”の話だろう…」過去に何度も感じてきた(笑)、だから今もそう思うことができる。情報を取り出す時、そこにあるところから引っ張り出す時、過去という見えない括りの中から活用している。

そこから引っ張っているだけで、”今使う”のならばそれで良い。そんな風に自分の中に繋げてきた”流れ”、自分の列を外してみてもいいかもしれない。時間からの解放はつまり、「自分のレールからの解放」でもある。


過去が過去であるようでないのだとしたら
”未来”というまだ”ここ”にやってきていないソレはどうか

やってきている/いない、かどうかは実は定かでなく、この目に見えていないだけのものが非常に多くあるということ。ここにそれが在るか否かは、かなりの部分でこの「自分自身」にかかっている。

この自分にそれを見る目線はまだ開けていないのだとすれば、この目を開くことに集中すればよいという事になり、現に感じることの出来る「この場」という今に集中してモノをみることで、見える範囲は広がる―――。


あっちという所からここにやって来たのでなくて、この自分がここにおいて見つける事ができるのが、未来や過去という時間を表現する状態で。「今」という現実、現場に戻ってみると、いつも今というこの場所しかないことに気づく。

今ここにいる(ある)ということは、意識を現実の場に引き出すことで、過去や未来などの表現をしている時、この今という場を抜いた所でモノを視ている状態なのだと思う。そしてその状態が私たち人間の動きとしては多いことは明らかと思う。

何か不意にぶち当たるデキゴトというものは、現場の中でしかなく、頭の中にわざわざアクシデントなど意図的に起こさないもの。情報はいつも大体スムーズにできている。


それが意識の有無に拘わらず、現場の動作が行われている時というのは、思うように行かない進まない、予想外・想定外、アクシデントに嬉しいラッキーと、人の行動が揺さぶられる事は多い。

現実という現場に接している時、「今」というものしかなく、だから一度きりのその場に意味の濃さはなかなか見えてこなかったりする。何度も同様の事象でなぞった事で”意味”を見出し、情報として後に引き出せる材料になる。

一度の現場で、未体験のそれで「そういう事だ」と知っている人は、一度で「その場」を心得たのではなく、「”現場にいるという事の意味を学んでいる”ことにより知っている人」なのだと思う。


現場で、現在という今で、この自覚のある意識を重ねて…

それぞれがまちまちの色々を、その一点に重ねるその連続にするという事は、それを連ねるための力がどうしても必要だろうと思う。

それを「集中(力)」と言うんだろうね。

(今回も”一先ず”書き。”過去”の方が活用(再生)が多いからか、未来の話は現在で表現するのに、これでは寄せ切れなかった)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!