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どこでそれを感じているか

少し前から感じていること…、
なんてものはいつだって何かしらありそうだけども。

「今日はこれかな~」なんて思ったものに手をつけようとしてメモに目が止まってしまう、これにしよう。

メモ自体は本当にメモ程度の、書くにはちょっと考えながらになるので放置していたもの。

・・・ ・・・ ・・・

言葉というのは、表現に使われるだけでなく、かなりその状態を現しているとつくづく感じている。普段何も気にせずに使うこの言葉が、急に空間を変えてしまう。

《肌に近い実感》
”ここ”から物事を捉えているという、実にシンプルだと思った。対して余裕という距離のある目線もまた意味どおり。”余裕のある場”から物事を捉えているものは端から「思考」の場(側)から降ろしているので、距離(冷静)があるのだと思った。

言葉上の距離だけでない、この「身がある場」に合った場所からの表現は自然となされている。それを臨場感と言ったりするのは分かりやすい。

人が、何かに対して距離を保っているものは、現実に即しているものとはまた別に、関心の有無・強弱という面でも言えて、その表現が「どこの場(位置)」からなされているかは、やはり個によるものとなる。

”自分”というものとの結び方の強さ(弱さ)とも言える。


例えば自らがその場に居ない、生活のリアルがそもそも異なることもある。「身近」に感じているものと、離してみているものとの間の距離は大分遠いと感じた。

リアルという現場、その”実感”から見ることは確かに臨場していなければできないのだけども、臨場するから”その場”しか見えないという事も同時に言えてしまう。

また反対の「思考」できる距離ある状態からではまず実感を得ることはないのだけども、”その場”の外から観る距離もまた場面によっては重要で、どちらかだけでは不足してしまうと感じた。


メモの一部はこう書いてある

「データという理屈が示している”世界”では、この国はまずとてもマシな国であるけども、足元が揺らぎ始めている自分(自国)を無視して遠く正しい世界はこの目に映らない。

そうである(その通りである)世界は頭に置きつつ、足元をきちんと固めなければ、”マシな”風景を外に見ながら泥沼に埋もれていくように思う。

正しさの世界と、肌の世界を一本軸で見るのは高度な事と思う…どうだろうか。」

・・・ ・・・ ・・・

放置―――そしてポツポツ湧く。

1日の前倒しが始まり、また生理による頭重も併せて早めの眠気。横になっても寝つくことはなく紅茶を入れて少し書いた。よりによって選んだ”これ”は、頭の中でバラけているものばかりのものだった。

夕方に少し眠って。ワン達のご飯などいつもの流れをこなしていると、ほんの少し何かスルスルと感じるものがあった。もの凄く具体的なものでもないけども、その細い線でも結んで表現にすることは出来る、そんな状態にはできるものだった。


広い目では「世界から見ればマシ」なのは事実なんだけど、今実際に現実から”この状態はキツイ”という実感が多くあることもまた事実じゃないかと思って。

その時「他者」を優先するか、「自分」を優先するかは、考え方は両方が大切なのは”解る”のだけど、いつまでも続く、長いこと続いているこの状況に余程のエネルギーが溜まっている状態が「ここにはある」のだと思えた。

こういう話の時、これに限らず、頭で考えるか肌で感じているかという事に分かれやすいものだけど。本当にそう思うのだけど。

頭で考えられる状態である、ということ自体がすでに”現場”ではなく、”正しさ”から考える向きであって、(今は)その様にして優先・実行が進んで行く余裕のある状態ではない様に感じたもの。

「国」だもの。自国だけじゃない世界目線があって当然だけれども、自国がしっかりと立っている事はもっと当然なんじゃないかと。内側がしっかりと満たされていないと”弱い”というのは想像がしやすいように思う。


「バラけている状態」は、「今私が特に焦点を当てていないもの」ということになる。当てているのものは、考えることなく自然と出てくるもの。だから少し何か、集まって来ないと幾らかのカタチとして自分自身でさえ掴むことが明確でない。

何かを強く言いたい、主張したい状態であれば自然と言葉は出るのだろうけど、そういう事でもなくこの時とにかく感じたのは、やっぱり”距離(感)”のことだけだったものだから。そこに少しの思いと考えを付けていく=表現にする、というのは、勝手にされるものじゃないと思った。

目の前にあるコトを、どこの位置(立場)から見ているか、という事で見えてくるものが違うことは何度も触れているけども、その状況により優先順位は変わって当然だと私は思っている。

考えを広い所に逃がすことで気持ちが緩くなりそれで済むなら、それで十分だし、それで済む程度という事。

今この国は、それよりもっと深く真剣に現場を知った方が良いんじゃないかと、距離のある状態に対して私は言いたいのだと思う。

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☆うみのみか☆
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