無意識が全て
20年近く前、私はうつ病になった。会社の上司が、私が不調をこぼしたのを機に言ってくれて病院へ行った。「心療内科、行ってみたら…?」
自分のその状態が「なんかおかしい」と言う風にしか捉えられなかった。まさかそっち系の病気?私が?少しの驚き。
うつ病の診断を受け、私にはカウンセリングと投薬、二つの治療の選択ができた。「薬で治す」これが早く治るものと思い、それを選択した。
服用して頭が回らない事への”苦しみ”が始まる。休職していたわけではないけども、営業職だったので、自己責任に於いて「自由」だったから、調子が良ければ営業に出た。
この姿勢があったので、「頭が回らない」という事は非常に困る状態だった。ドクターに相談すると「その方が”楽”だと思ってやったんだけどね( ^^) 」と言われた。
少し薬を変えてもらい、薬の「効き方・切れ方」を教わった。それによって自分が”快方に向かっている”とは思えず、数か月で、自己判断で通院も止めた。(2:40~)
営業職という事も手伝って、その日の事を記録するのは日課だった為、仕事に出ない自分は、今度は「自分の気持ち」をひたすら書き出していた。時に筆圧は強く、自分が感情をかなり抑え込んでいた事も理解した。
周囲にいた人たちが調べてくれたり、本を薦めてくれたりして読んだ。記憶は殆どできなかったけども。
「最低でも6か月かかる。一生のうちに何度か繰り返す…」
この情報があったから、治らない焦りを強く感じる事もなく、ただ日々を苦しい感情(どうしたら楽になるのか、抜け出せるのか)から抜け出したかった。…これが焦りか(*^^*)
少し良くなってくる頃に「”ふっ”と衝動が出る」という事も解っていて、きちんと自分に戻ってこれたから良かったと思う。底に落ちている時はそんな衝動「力」すら枯渇して何もないのだ。
少しずつ、本当に少しずつ力が溜まっていくように、過ごしていたんでしょうね。「何かをする」という事は疲れるだけで苦痛だったと記録・記憶している。
そんなただ静かに、主人にも私を”放置”してもらって、日々を過ごしていた。
1年経つか経たない頃、新しいパートの仕事を見つけて余裕を持ってスタートしていった。自分の状態が「もう大丈夫じゃないか?」と踏み切れると思ったから。それまでの営業も、最後の仕事をやり上げて、感謝されて終えられた事は今でも心に残っている。
パートとはいえ、業務量が多く楽ではなかったけども、特に問題なく入って行けた事は良かったと思う。ただいつも注意したのは、「認知を変える」ということ。
ここを変えないと、自分の傾向は変わらないので、ここを思い切り自分で変えていった、今までの自分と逆へ。
大きな偏りを修正していく事になる。今までと違う職場、新しい環境は、誰も何も”私の事”など知らないのだから、環境も後押しした所もあると思う。(通常はこのやり方は激しいのでやらないと思われます。私は新しい環境に抵抗がない方なので活かせたと思う)
昔から好き嫌いがはっきりしている、と自覚していた。白黒ハッキリしていないと気持ち悪かった。こういう経過を経て、両極を知り、右へ左へ大きく振られて、真ん中へ向かうようになる。
どちらもあります。全て含むんです。ただ始めからそれをしようと無理するのではなく、まず「観る」んです、自分を。
私は行き過ぎる傾向があったから「病気」になった。そこから色々に気づいています。勿論、病気になんてならずに気づいていく事が出来るんです。
「脳みそは、究極的には”無意識”が治してくれる…」(10:30~)
この言葉は「病気を治す」説明じゃなくて、「全てだ」と感動しました。20年も前に大した事を知らなくても、自然と選び、行ってきた事はこの約16分半に収まっていました。
歩むべき道はきちんと歩んでいます。
その道で拾うものが決まっているから。
【全てお任せ、やろうとしない】
という”状態”を今私は、健康体で行う所に辿り着いています。いや、やろうとして色々やったから、ここへ来たんですけどね(*^^*)