身体からヘビ~
自分の”どういう状態も”活かす、事はできる。
ただやっぱり、身体寄りの時は拾うものもヘビ~というのを感じる。これは、イメージだけでは済まない、”実感”の伴うものになる。
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6/6日からの今年の「超繁忙月」に突入すると同時に、生理絡みのホルモンバランス・変動など低空飛行で数日を過ごしている。本当に不思議なくらいに「そういう事」が拾えるようになる”居場所”。
怠い、重い、(少し)痛い…。
などの「身体的なもの」をしっかりと掴める状態があるという事は、良い事ばかりだけでなく、こういう掴んでいる対象が”ネガティヴ系”であればそれと”連動”する様に、自分の「感情」も低めを拾う。
「怠い、重い、少し痛い…。」
この時、気持ちは嬉しくなったり楽しくなったりはしない。冷静に考えればハッキリと分かることなのだけども、この”身体症状”に対しての感想と自分の持つ「”感情”は別だ」と、勝手には分かれてくれないから。
脳の中では、沢山のモノコトが絡み合い、無意識に結ばれてしまっているんだよね。そして人の”感情”は、身体を無視できない程密接で、それにかなり引っ張られてしまう。
現在はそんな中で”抜ける”のを待ち、今月の「少しでも外側へ」はやり切りまふ~(*^^*)
自分の発信した言葉って、きちんと自分に”返って”来ている。
表現としてはよくある事で珍しくはないのだけども、今ここでは特に「口で音に出した言葉」を想定して書いている。
こうして書いていても、読み返して“届く(入ってくる)”ものは確かにあるのだけども、「音」として発した場合、その音はきちんと自分の耳から届いてくるので、これはとても大切。
ちょっと言い方を変えると、時にその「音」の主は、自分ではない「誰か(何か)別人の音」として聞ける時もある。それはその”音”自体の中に入ってしまう時、「音に集中した時」なんかは、音だけに引かれ自分が持っていかれて、そこから”自分”は姿を消している、様な状態。
”主”が、自分ではなく、「音」そのもの。
それは同じ”言葉”を目にして理解する事とは違うこと。その「音」を確認して(その”刺激”を受け取って)、また自分の中に何かが発生している循環。
自分が「考えるでもなく音に反応する」というのは、意志とは別に脳内では”ハタラキ”がある、ということになるよね(笑)
そうとして、分離して考えてみると、脳内には別の”イキモノ”を飼っている・同居しているようなもの。そう考えるとおもしろいし、逆に”自分”という存在が、ムリヤリ小さな形で居させてもらえているのかもしれない、なんて思える。
どんどん”小さくある”ことを思ったりもする―――。
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先日、主人が「ほら、それ。オレが言った事じゃん!」と言った時に思った。
⦅これは、”Yさん”と言えるのか…?⦆
それまでにも、同様のケースがボチボチあって。(あくまでも)例えばそれが昔の有名な人の言葉だったり、”偉人”と言う人だったりしたとして。
しかもそれが、あの人この人、その人も。えーっ、この人も…。という様に”色々な人”が「誰か」に現れているのが見える時、それを「Yさんと言う人」と特定できるか?という話。
あの人は○○に似ている、★★みたい…、まるで△△だね。
そんな表現ができる時、「あの人」という存在は、本当に「その人」なんだろうか、そんな事を思い出していたから。
主人との会話はその場の事で終わって行ったものなんだけど、その状態というのは、今まで”Yさん”と認識していたモノが、そうでないモノとの重なり合いが多くなってきた場合、それは特定の個人と言えるのか?そんな風に思う。
同時にそれはあの人であり、この人であり、その人であって、もはや「一人」ではなくなっていると言える。その人の中の「その人という部分」は小さくなり、他に形容できる誰かの部分が多くなれば、それは「他者」という事も可能。
今までにも何度も触れて来ていると思うのだけども、「個」というのは、「その”考え方”を持つ者のコト」と表現は出来る。勿論、この肉体の造りには異なるものを持っているのだけども、脳によって出力が違うわけだから。
脳内で色々を組み合わせて出力してくるソレを”その人”と言えるだろう、という見方をする事があるので、そこから「色んな人」が出るようになってくるともはや、一人に特定する方が難しい…とちょっと流れで触れてみました。
(”脳によって”ではなく、”腸の生き物によって”と考える人もいるので、どちらから見てもその捉え方をすると”自分”の方が住まわせてもらっている存在、という風になるものです(*^^*))
私は、過去に何度か書いているので、わざわざ書いていないけども、母は中国人ハーフで、私が子供の頃に帰化しています。(以前からの方々は知っています、記憶していれば(笑))
私が”外人さん”が好きなのも、海外が好きな事なども、全て根底にそれがあるからだと思っています。
そこから簡単に自分の中の多少の重い話を引き出せるのは、偶然という必然で、上記のように「身体の重さ、リンクする重い感情」という風に捉えて自分の中で少し感動しました(*^^*)
いや、私が直接重い記憶を持っているのではなく、きっと大好きな母の、父から聞かされてきたエピソードを思い出すと、今の身体状態から私の心が入って行ってしまう事によるもの。
どういう形で書くか少し考えます。(ここで書かなくても良いしね)
色々な”材料集め”で(母の事じゃない)、現在余計にアタマが重い…ちと笑えない状態です(^-^;
(冒頭、導きに使った文言じゃないけど、ウマい事繋がりました(笑))