方向づけはアナログ

土用、入ってますな・・・

「この時期はこの”不安定”を体験する」と、初めて感じた。

今までは、揺れないように、安定的にと、当たり前に思っていたように思う。それで良いのだけど。

自ら不安定を引き起こす必要は全くないけれど、注意はするがそれでもいつも通りから見えてくる「え?」に対して、「それ」を今感じとって「土用だなぁ…」と思い…今その中にある、と一体に。

そんな心境になった。


どんどん、コトが過ぎて行ってしまうので、メモしている事も忘れている(笑)

思い込む、自分を信じるということを、また付け足しておく。これはノウハウじゃない、モノゴトの考え方。

時に、勘違いする事だって恐れない。
だって、本当の事だけを結んで生きている人なんて殆どいないんだから。

そもそも「信じる」という言葉を使用しているけども、人は自分の中に既に何かを「信じて」いるから、そこからものを考え、何かを思ったりしている。すでに完全に無意識の状態で、何かを「信じ切っている」のが、自分という存在。

その中身の精査などした事のある人は少なくて、世の中に流れているもの、影響力があると思われるモノ、多くを占めているもの、勢いのある者…などなど、そういうものに影響されてこの「自分」が出来上がっている。「外のもの」と一言で言えるかもしれない。

では、この自分という存在とは何ぞや?

という話は置いといて、そういう中身であるという所から話して行くと、だから、「自分を信じろ」と言っている。人は自分が無意識に思っているその在り方をそのまま体現させているから。

説明が必要な所は、今のその精査されない中身のままに「信じる」のではなく、上記したものが自分の中に殆どを占めていると考えれば、何か、どこかを崩す必要があるということ。

そのままでは、今までの自分の中のままで、また同じ範囲で回り続ける。それが脳内の配線「記憶」だから。

頭の中を変える。

言葉ではこの一言で済んでしまうのだけど、この言葉は色んな範囲を含んでまとめられているのでそれをバラすと、頭の中が変わるという事は、この身体側の動きも何かしら変化するという事になる、これはセット。


何かが無意識に”ある”状態で、それによって自分自身が成立しているという事ならば、内側で回り続ける思・考を、新しい思考が”無意識になるように”すれば理屈は同じこと。

なぜ、今の自分がこの思考をしているのか?という事が、殆ど分からないのと同じように、無意識になるのは分からないうちにそうなっているから自覚が難しい。

少し前に書いたように、言葉にしていない(なっていない)その自然にとる行い(選択)の部分が無意識で、そこに行くまで自分にその状態を与え続けるという”継続”が必要になる。


自然と働く無意識にするまでに自覚できる「意識」の力が必要で、それは自分の意思が必要なので、自分の尻を叩いたり褒美を与えたりしながら自身を導き続ける…結果それがくり返し行われ継続し、パターンへと身について行く。

頭の中のスイッチは一度で構わないけども、動作までは導き続けないと、くり返すまでの習慣には、なかなか行かない重さがあるので、そこは「完璧でなくても、ほんの少しでも手を付ける」という事で、接触していく。

自分の動作を動かして行く習慣づけまでが少し大変と思うところ。拘っているコトの具体性より、こちらの次元で見る「クセ付け」に大きな意味がある。コトは内容が変わればまた一からだけども、大元の習慣(パターン獲得)は、コトという小さな部分はあくまで応用となり、やり易いと思う。


「言葉」を使ってここまで書いてきたから、何か特別なことのように、部分によっては難しくも感じるけども。

これは「人が当たり前に、無意識に行っている事、その機能の言語化」をしているだけのこと。何も特別な話ではない。だけど人はその機能を考えることも、確かめることも意識的に使うこともしない。それを「する」だけの話になっている。

だから、自分に何かを思い込ませること、「思い込むこと」というのは、誰かの特別な能力ではなく、誰でも「無意識には行っている事」の話。

誰かの何かを見て、感じて、「不思議!」と感じる事の多くには、人の機能として備わっていて、だけど私たち人が自覚に上げていないその事を見たに過ぎないことは多くあると、私は思っている。

自分の力を疑っているのは、一番に「自分自身」だったりする。それは他者と比較し、他者のモノサシで測るから。

それでは、その”思い通り”になってしまうよね。

自分の中身は「自分」で満たして行くことが普通なこと。


「土用を楽しむ」という言葉には遠いけども、それが”体験できる”という感覚を今回は自分の中に掴めた。

外から来る「機会」。

時期、季節というのは大切な機会だ。

そして冒頭のことが浮かんだ時、「揺らぐ時には揺らいでしまって良いのだろう」と感じた。

自分が。
いつもと違うところを揺らされる、普段は感じない所で揺れを感じる―――

解れて表面と混ぜ合わせ、固めて行く…そんな所か。

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☆うみのみか☆
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