自分の内側で創られる
感覚…、自分の中の認識…、が敏感になるというのは、この身を持って知らされる。
少し前から自分の姿勢にふと意識が向く。以前にもそういう事はあって、「あぁ、膝をあまり曲げていないな…」と、低い位置の作業を腰から曲げて行う姿勢に気が向き、膝をきちんと曲げることを意識し直す、という事があった。
そして少し前から…。
ワン達のおやつの準備で台所に立ち、、立ち。。。
その時の片足重心になった時の、左足に感じたその傾きに違和感。「外に力が入っている」、重心の寄り方が外側で、無意識にそうなる事が多い状態を少し内へ戻すように乗り直している。
散歩で履く紐スニーカーのベロのズレ方からも分かる。今までもその傾向は持っていたけども、身体に「感じ」て受け取っているのは初めてかもしれない。
そんなことがあって。
たまたま、糖尿病でやせたワンコが立っている姿を正面から見た時の、その前足の広がり方に目が止まる。以前は真っ直ぐに足は下りていたはずだと思ったから。
他の細っちょワンコは昔から、前足をその様な形で立っていて、筋肉があまりついていなから…と感じていた。トイプーは、元々足はかなり華奢だけど、我が家の子たちは、その子以外はしっかりとした肉が付いていた。
身体のことを詳しく説明する言葉をほとんど持っていない為、イメージからになるけども、この私やワンコの様子を感じた時に、「内側にしっかりと”保って”いるには、結構な”力”が要るんだな」と思った。
自身の足に関しては、気づくたびに体重の乗せ方を意識している。
内側からそれとなく”感じる”というのは、やはりあって。それ以外にも首が自然と同じ方に少し傾いているなどを感じやすくなることが定期的にある。あまりそれが頻繁になってくると、私は整体に行くことを念頭に置き始める。
違和感は感じさせられるんだよね…。
「分からない事を分からないまま」呑み込む。
と、ぼちぼち書くのだけど。場合によってはそれはまるで、とても難しい事のように感じるかもしれないけども。
言い換えると「”意味”へ繋げない」ということだよね。分かりやすい例は「お経」。私はこれが浮かんでいた。
区切りの極端に少ない、そして一般の人にはまず理解できない”分からない”その文言=音のままに耳から流れている音だけ入れている状態。音声になっていなくても、読むという動作でも”同じ”と、私は感じている。
知っていることには自然と結ばれてしまうのだから、”分からない”と感じた時点でそのままでよく、ただそこにそれはあったのだから呑み込む。内側で理解・解釈されずに塊のままにしたものは、必ず”分かった”時にそこと結ばれる。
”分からない”と、自分のこの内側で”気になっている”状態は保持されるので、きちんと時間をかけてでもその事へ向かおうとしてくれるアタマ。
⦅あの時のコレはそういう事だったのかな…、なるほどそういう事か…⦆
は、分からない事から始まる自身の旅。自分を導く楽しみな旅、引っかけているものが沢山あることは、楽しみがそこにあるという事よね。
”引っかけている”、この事からの連想…。
逆に”引っかけるような”取り込みの仕方をしない、というのはキモになる。
自分を楽しみに導いてくれるのが、その状態ならば、そうでない出来事も引っかけ方によっては、先々のそれへ導く。自分の”内側”で「もしかして…」「ぇ…、○○かな」という内部対話は、自分の中の影響は大きい。この内側の”独り言”は注意。
独り言は普段から自然に行われていて、この内容の向きはよく観た方がいい。
簡単には、その内容が、楽しみに繋がっているか/不安(恐れ)に繋がっているか。または、それに対し期待できるか/暗い気持ちになるか。
この明・暗によって未来に開くものも変わる。”暗”はここで新たに創らなくていいもの。今この内側で創られるものは、暗からでなくて良いい選べる段階のはず。
ここに自分の意志を使って”切る”。自分の中でクセで回す回路は意識的に切っていく。頭を横に振ってもいい、「ない!」と自身の内側にハッキリと聞かせてやってもいい。
確定しないものを、自身の心(のクセ)で今決めなくてよい。この時にも、この自覚側の強い意識(意思)は使えるよね。
・・・
「引っかける」ことで、未来に落ちる「納得」があるのだから、この”反対”もまた同じようにあるという事、いわゆる「ネガティヴ」な方面。
ネガティヴな状態があること自体は、私は否定をしないのだけども、何もそれが決定されない状態で、自分の気づかぬクセによって、未来の「やっぱり…」をわざわざここで用意しなくても良い、という話。
クセで自然に行われる内部対話、独り言。
ここは、この自分自身しかいない場所だから、自分が気づかなければ外の誰も気づかない。言葉で外に露わにされているなら外の事象から拾うことも可能だけども、ここでの事は恐らく通常は気づきにくい。
自分の中にある”連なり”は、良いことばかりだけが起きているのでなく、その反対のことも十分に起きている。(個による今までの習慣、それぞれによるもの)
そしてそれでもその中には、必要のないことを内側のクセにより毎回創り出しているケースもあるだろう…という話。気づく事ができれば、不要なネガティヴは創らずに済む。
その様に少しずつ、内側の傾向を”触る”ことは可能。それをくり返すことにより、やっと本当のポジティヴが多く現れるようになる。
表の意思で力を入れなくても、ここの動きが変わるだけで、ベースが替わるのだから表は自然とそれに伴っていく。小手先の強制でなく内側の矯正。少しずつ割合を変えることはそれによって可能。
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!