”タオル”という記憶
知識からではなく、「現象」から手繰っています。
「タオル、そろそろ変えようかな?」
その前日、お風呂に入った時に、主人の白いタオルを見てそう思った。
穴が開いた訳でも、汚れが目立つ訳でもないけれど、ふとそう思った。ましてや主人は自分から「変えて」とは一切言わない人、”充分。まだ使える。困っていない”、とよく言う。
ワン達の足拭きタオルを洗っていて、黒ずんできたので「変えようかな?」と浮かんだ。
【アタマの線が繋がる】
一瞬の事だけど、以下に分けて書きます。
”変えようかな”起点。
①このタオル(ワンの)、主人の風呂タオ・・・
②違う。何言っちゃってる?(考えてる?)
③そーか。こういう事だ。”配線”ってホントにこういう事なんだ。。。
私は今までに、ふざけて”頭の配線が…”と言ったりしてきたのだけど、本当にそういう事だった。通常考えれば、ワンの足拭きタオルを、人間の風呂用タオルへ交換するなどあり得ない話。
ちょっと、”アタマおかしい”ってなっちゃう。
けれど。
頭の中で起きてる事は「そういう事」なんだ。”キーワード”づてに既存を探すネットワーク。その繋ぎが、新しい回路はまだ深くなっていないので”おかしな繋ぎ方”も中には出てくる。
通常で考えれば、自然に走るその回路は、日々の慣れた回路(思考)を使うので、変わった事も現れないけれど、違う回路を使い始めると、まるで子供のように突拍子もない事を思いつく(又は言う)
それをせずに、「いやいや違う(*‘∀‘)」と出来るのは、今まで常識として使ってきた既存回路。
その理性的思考によって、普段は助けられている。現象から脳が丸見えのようでビックリ(*'▽')と、笑えることだった。
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私は今年の春先、何度か日を置いて「車」の夢を見た。トラックや大きな外車、スポーツカーなど、馬力のあるイメージのものが多かった。
この時の私の夢への印象は「脳の新しい回路」そのものと解釈している。
新人に”運転”を任せ、ハンドル捌きを少し不安に思っている所から、自分が運転するシーンに変わり、ここでも「ぶつけないかな?何とかなるだろ(*^^*)」とやり過ごし、急ブレーキをかけたらスピンするだろうという状況でも、静かにピタッと止まれている…と車を変えて”成長”してきた。
この夢が、私のアタマの”新しい回路”の進捗として現れていただろうと、根拠のない確信を持っている。
あちらで起きた事は、時を経てこちらでも事が成る。根拠は見えない所で創られる。
(月一女がきついから、これでおしまい。2回目は分かりません)
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!