ヒントになるかな?
本題に入る前に、昨日の「カジュウ」の話。
私は「荷重」と思ったけれど、主人に状況を話したら「過重」を迷わず口にしました。”分かんないけど”とは言うものの、クレーンという状況からは「そうなのか…」とそれが合っているように思った。
そして私が選んだ「荷重」の意味の中に「外力」というものがあって、今朝メモしていた事に”繋がっていた”と気づき、そっちに驚きました・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
”強いヒント”になるかな?と思って、昨日メモしていた。
基本というものがあって。順序というものがあって。
それは素直にまずは取り組んでみるという姿勢は必要と、まずは前置きします。そして次の段階で、
(結果が出ないのに)それをずーーっと続ける事は「合ってるのか、間違ってるのか」。とやっている事の判断をしたくなってくる。
(※私の目線では、手段が”間違う”と言う事も経験なので、”間違っていない”と捉えるけども、ここは敢えて、”間違っている”を使っていきます)
結果が出ないのだから、「何かが」違うんだよね、きっと。ずっとやり続けているのに多分何かが・・・ね。
その”判定”はとても難しいと私は思っている。
「あと1日やっていたら、明日結果が出たかもしれないのに…。」
この考え方はどこまで行っても付きまとい、ドツボにハマる。要は
「失敗は受け容れられない」
「”自分の想う結果”以外を受け容れたくない」
という事を、強烈に思っている。という事だよね。理由は色々あると思うけども。
ちょっと私の過去の例をいくつか挙げます。
・○○したら※※になります………「年単位でやったけど、ならないじゃん。やめよ」
・あなたに起こる事は全て”あなたに責任があります”………「は?これは私、悪くないもん。ハァ??」
・起こるべくして起こる………「ふざけんな、こんなこと望んでない!!」
と、しばらく継続して、やる事やって結果が出ない事に「このままやっていればそうなる~°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°」
なんて、真っ直ぐに進んできた訳じゃない。時に、神にだって”なんでだ!”って、私は文句も言ってきた。
だって、同じようにやっていても簡単に結果を出す人もいる事は”事実”、でしょう?
私は「言われている事」を全て受け容れていっただけじゃなく、自分がそう思えなかった事は「自分に従った」。
そして、ここ。
・その結果により、「悪い事が来るなら、別にいいよ(と受け容れる)」
・私が悪いと「思えないものは思えない」
・バチが当たるならそれで結構!!
という姿勢だった事。
悪い結果(望まない事)が起こるならそれでいい。私は自分にだけはいつも正直でいた。それはいつも自信を持っている所。
そこにヒントがあるかな…と似たようなケースを見ていつも思う。
例えば話題に上げたジャッジ。
ジャッジする癖があったとして、それをするから自分もジャッジされて…、という話なら、
「自分がされても当然。(自分がやっているんだから)同じ事だから。」
と、自分に来るものを認めている(自覚・無自覚問わず受け容れている)人は、問題ないでしょうね、という感じ。「自分がジャッジされても辛くない」という本人の在り方なら、問題になりようがない。
本人が「辛い事」と感じるならば、自分から自然とやめていく、と思っている。
私自身が基本的に(自分に対して)”力”でやってきている部分が多いので、多数の参考にはならないと思うけれど、結果的には、自分の判断した事によって、悪い結果は来ていない訳だから、「丸ごと受け容れられる覚悟」を持てるならば、出来るという話。
大体、失敗したくない、怖いのはイヤ…と思うのが常だから、手本になる事を参考にマネしてやるのだけども、暫く続けても手応えを感じないならば、一気に”丸ごと受け容れ”を自分に許可した方が早かったりするかな…と思って書いてみましたよ。
無茶するススメじゃなくて、「自分はどう思うの?」のススメ(*^^*)自分が快適にならずして、外の成功を手にしても後に虚しさに気づくだけ。必ず自分の”快適”がベース。そうでないと崩れるよ。
ちょっと、ぼかし表現を。
上を開きたいんだよね、通常は。
その向きを変えて、下を開いても同じだよ。
「上下の軸」で今いる時点の自分から見て、上・下に開く幅は同じだから。上だけとか、下だけとかないから。だから同じだよ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
雲のカタチ、木々の揺れ方・・・外からの力。
頭の中を漂っていたので今朝、簡単にメモした。
雲たちは自分からカタチを変えてるの?
木々や草花は、自分たちから揺れてる?
外からの力、雨や風を受けてその様になっているんでしょ?
自分としてしっかりと立っていながら、ただ外と共にカタチを変え、動きを変えて。
自分の特性はきちんと保ちながら、外の力と共に。