ミニマム
大体、過熱(集中)しそうな時は、最近は白湯という程じゃないけど、沸かした熱いお湯を飲む。
私は子供の頃から水が嫌いで飲めなかった。
この原因の一つは、小さい頃は(これでも)身体が弱く、「薬ばっかり飲んでいた」という風に聞いて記憶している。そして、お水やお湯という味のない物で、薬の甘さや苦さを呑み込む事が出来ずに、吐き出した記憶もある。
「味のないものが嫌い」
これは暫く、かなり暫くの間、私の人生を占拠していたと思う。
その私がひと月ほど前から夕食後にお湯を飲み、少し落ち着く為に飲んだりするようになった・・・、お水は飲もうとは思わない。
毎朝口をゆすいだ後に、大体7口水を飲む事は大分前からの習慣で、これは普通にこなす。そしておもしろい?事に、その時の”状態”は時の流れで色々変わって来ていて、今は飲みながら、『清い水』、澄んだ水のイメージ(映像)が日々ある。
それが体内をめぐるわけだ。
水を飲むときは朝の起き掛けに近く、頭も起きているようで、ヌボッとしている。目を瞑り、「ゴクッ、ゴクッ、」と飲むその時の事。
以前は、その日にフォーカスされる「色」が瞬時にパッと出ていた。
これは、朝のその”印象”が、その後の日中のフォーカスに影響している、という風に、全体を見て言える事。決して事前に判った、などのものじゃない。
なぜこれを書いたかって、この書き始め(日中に書き始めた)に、何か、「グシュグシュッ」とする混乱・混線を、その前のワンの散歩時から感じていて、何度落ち着けても強さを感じたから。
それを多少引きずっての事だったから、熱いお湯を飲んで、普段に入り込もうと思ったから。
くだらない話ついでに続けてしまうと、この「色」も、「清い水」も、いきなり降って湧いたような表現になっているけども、この前の段階で、「スイッチ」はこちら側からきちんと入っている。
そのスイッチはいつも自分がしっかり「自覚」しているとは限らず、ただ自然と思うでもなく、頭の中に『漂わせてしまった』、というものが多い。恐らく実際に「よし!スイッチオーーン」なんてケースの方が少ないはず。
人はいつもただ、何かを自然と浮かべてしまっていて、それがスイッチになっているとは知らず、だから急に”降って湧いた”ような感覚を持つ。
それらの仕組みを知っている人はそれを、「”自分の意識側で”、上手に無意識側に流す」という事が出来ている、のだと私は思っている。
これが出来ると、非常に楽しい事でもあり、顕在側だけの解釈で見ると、とても不思議に感じる事なのだけども、これは、無意識側(あちら側)だけを動かそうと思っても無茶な話で、必ずこちら側の制御とバランスコントロール、というものが必要。
世の中に、良い人は沢山いる。
その良い人は、人にとっての良い人という基準に納まっているに過ぎなくて。
そしてそれはそれで、その面ではよくて。
よく観なくちゃ、よく観た方がいいのは、「行い」という部分のモノ。ここだけはしっかり顕現しているから、誤魔化せない所だね。
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明日向けに、と思っていたけど、上げてしまおうホトトギス(ホ~ホケギョッ!)