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ただ「そうなる」
どうですか?
世界、すごくおもしろい事になってきていませんか?(*^^*)
考えたって今までに予測していた範囲を超えてきて、小さな予測より大きな”方向性”だけを望んでいたら、その方向へきちんと「行きます」、いっているみたいです。
望むと書いたけど、懇願しているわけじゃない、念じている訳でもない。ただそれは”実行”されていく。
その過程に「自分の思ってたのとは違うな…」という小さな”自分”が挟まって不快に感じたり、色々をコチョコチョ触ってしまうのがニンゲンなのだけど、
決める(設定する)→実行する。
実行は”人”が行わなければならない部分。後は意識側の力に任せているだけ。
言葉で書くと本当に説明なんて数行で終わってしまうのだけども、その表現に至るまでに自分の中の”ノイズ”を静かにさせること…、そこに時間がかかるのだと思う。
考えるでもなく、深く思うでもない。
ただ、「そうなる」。
・・・
なんてさ、書いてみたけど、私が昔唯一参加した事のある”講座”ですぐに感じたのは。
「頭の良い人ほど大変だ…」
という事。
頭の良い人は考える事が沢山あるし、とても複雑であるからその様に思った事がある。
かと言って純粋”お花畑”だけでも、着地が出来ないのだけども。
いや…。
頭が良くても非常に柔軟な”柔らかアタマ”な方々もいるから、そういう方々の”在り方”が、参考になると思います。
自分を窮屈に縛るのは他の誰でもない、この”自分自身”だから。
シャッフルされるかのように、本当に今までの価値観を疑いたくなるようなそんな「出来事」って、本当に起こるのだと思った。
特に”コレ”という何か一点を指して言っているのではなくて、もう”全体が”、全体からその様にしか観えない状況はきちんとそこに「ある」と少し驚きながら感じている。
「人」の予測は小さくて、例えソコという所へ行く(着地する)という事が分かっていたとしても、具体的な”道筋”というのは、誰にも分からないこと、当たらないこと。
その中の小さないくつかが”当たった”ものを取り上げているだけなので、それ以外のハズレもちゃんと同居している両方。これは人が通常の思考で考える範囲の事は「そうだ」というもの。
何がしっかり当たっているのかと言うと、「着地すること」だけ。
「その方向へ行く」という事が大きく予測した方へ向かっている、という事だけ。(予測と書くと不安定な感じがあるのだけども、確定していない事からみるそれに対して)
ここでは少し具体的に書いて行きたいと思います。
・・・ ・・・ ・・・
「やる」「そうなる」。
決めているのはそれだけ。その”結果”に向かって、私達”ニンゲン”は、それに向かう為の行動の実行をするだけ。
実行をするだけ、のこれが”それだけ”とは言えない事もあるから、止めたくなるし、それ自体を疑いたくもなるし…、何よりそれを行動するのって”やりたい事ばかりじゃない”から、諦めてしまいたくもなる。
昔、まだスピリチュアル的な考え方(ふわスピの意味)をしっかり持っている頃、お任せとかサレンダーという言葉が私にインプットされていた。そして本当に”そういう事”って起きたりしたから、私は「小さな”自分”ではやり過ぎない」という事に辿り着いた。
これは他者がどの様に思うかどうか、真実かどうかというより、この自分自身が「そっか…、そうなんだ…」という壁にぶち当たったから。
古いノートや昔のブログを見れば書いてあるのは分かっているけど、要約すると、自分の意思で何かをやろうとすると、やれない事が起きた。気を取り直してすぐにまたやろうとすると障害が入ることが短時間に連続で起き、「あ、やろうとしたんだ、(やめよう)」と、固執しない事を憶えた。
それは時に本当に分かり易く、すぐさまブログに上げたかったものを書こうとした瞬間、いきなりの強い衝撃(?)で一瞬で考える事が難しいアタマになり、(書く内容を)流されてしまい”諦める”事もあった。
要は、前のめりになって”やろう”とした時に、強い戻しのような障害で止められた事を何度も経験した事によって、「小さな自分側の強い”やろう”はやらない。お任せする」と学習した。
この頃はまだ、ふわスピに近い感覚はあったと思うけども、この行いがしっかりと活きるのは全く後になってからで、今に十分繋がっている”意識の切替”になっている実感がある。
そして当時は、ふわスピ系の”用語”のような括りで捉えていたこの言葉は、しっかりと意識の存在・使い方として”ある”と、自身の体験を通して肚に落とした。
当時の私の書く言葉には、「やろうとしない」をよく使っていた。そうした方が余計な力がいらない、自分自身が「壁」になる事もない。意識の働きにおいてもスムーズ、という事は現在に改めて言うことができる。
「お任せ・サレンダー」
昔より詳細に説明するなら、”意識”の力を大いに活用し、それを実行する”私”。下手にこちら(私)が小さく考えてする事よりも、入れたスイッチによって動かされるコトを実行していくだけで、ちゃんと辿り着く。
何もしない訳じゃない。
”私”がスイッチを入れて、それによって意識はハタラキ、それによって起きてくるコトの実行はまた”私”という流れで辿り着く。
「何だかんだ言って、随分”叶っている”」
こういう流れがあるから、”予測”という言葉を途中に使っているけども、「そうなる」ことも当然と思っている。
意識を上手く使っている人々は、労力のかかるトコロは意識の働きにお任せして、自分は必要な実行のみこなしている、という事です(*^^*)
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