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自分の中の摩擦は少なく

子供の頃。
よく背中に「おでき」が出来ていたんですよ。

それが中の膿が出るまでは大きく腫れあがって、痛かった。”タコの吸出し”というものを付けると口が開いて膿が出る、治っていく。

そんな事を多く繰り返しました。

今年の夏。
背中に2つ位おできができました。

膿を多く持っている様子はなくて、でも少し腫れている。子供の頃を思い出した。「そんな事があったよな~」って。

今年の夏は、私は夜寝る時にエアコンを入れずに扇風機で眠っていて、”環境”はその頃と同じだからかな?

ふとそんな風に思った。


頭の中の”矢印”が、しっかり一方向でなくバラバラな状態を数日過ごし、それをいつもの様に観ていた。

毎度の事ながら、これは私の「その状態から伺えるイメージ」で、それに言葉をつけて表現しているに過ぎないのだけども、後で知っていく情報からは、「言葉で正確に現せないだけであって、シンプルに感じていれば、人はソレを知っているんじゃないか?」と照らし合わせができる事は多い。

「定まらない」というのは、どこか一方向に向けた矢印のまとまりが弱く、又は他の強さも同じくらいで、どれも際立たず、どちらにも向く別に言えば散らばる状態。


発信するという事は、その他の色々が削がれてその行いがストレートに出来ている、という風に観えていた。だから、一方向にズバッと行ける状態は、ある意味「幸せなこと」という風に先日書いた。

現在がそういう段階なのか、意志側よりも”脳”の働きの方が強く感じている。

いや元々、そういうものなんだろうけども、自分の感じている面、感じ方が変わったからか、”その面”の強さを随分と観ている様に思う。

8/2メモ

言葉は、”脳内で見ているもの”につく(?)

食事前の挨拶時。毎日毎度のその文言は大体「定型」になる。

”お早うございます。云々・・・”が、”今日もありがとうございました”になってしまった、朝一なのに。訂正し言い直し。理由は分かっている。


定型文はそこに集中しなくても心で流してしまえる。だけどこの時は脳内に、何か夜のシーンを思い出していて、その画像の方に意識が行ってしまい、心の中で唱える挨拶の”音”を、”ありがとう”と聞き取った瞬間、「違う違う(笑)」と自分に気がづいた。

脳内に思うこと(ある事)、その映像が言語になってくる。と考えるならば、この口は、この言語はかなり言行不一致を生む可能性がある、ということだね(笑)

・・・

その様に書いているのだけども、実際には「どこに強く意識を入れているか」という事が絡んでいるように思う。その”意識”さえ自覚上の意識かどうかも怪しいけども。

その理由は、以前はよくメモと「逆」の事を行っていたから。

定型文をツラツラ心に流しながら、感謝の言葉を発する時に、それに合うようなタイミングで”人の顔”を脳内に浮かべていた。

これは、「その人と”ありがとう”が重なるように」という思いでやっていた事なんだけども、それはこの文章を読む限りでは、”良い人っぽく”誤解されてしまうので、きちんと解説したいと思います(*^^*) (大分前に一度書きました)


よく、「人に感謝をするといい」というけども、当たり前の感謝以外で、自分自身がそうは思っていない人を相手に感謝する事なんてそうは出来ない。私はそう思っていた。

そしてこれは、よく書いてきた「極力、自分の中に摩擦を起こさない」という事の徹底のためでもあり、必ず自分が優先という事もここに含まれている。

人は、いやだいやだと言いながら、結構その事から頭が離れない事がある。その吸い寄せられる様な状態を前にした時、どうすれば良いかな?と思っての行い、それを発信したものだった。


基本は、自分がそう思っていなことをする必要はない、これは変わらない。だけど、それをした方が良さそうな事は理解はしている。誤魔化せない気持ちと、やると良い事。この反り合ってしまう状態を、いくらか内側から”誤魔化せないか?”そんな事からだった。

内側の見えない部分の変化は、目に見て明らかにする事はできないので、効果の有無は、その後の自分の”気持ちの状態”を観るしかなく、私はそれで長引く事(それでも頭から離れないということ)がなかったので。


その後には、様々を経て他者が存在する事への”感謝の大切さ”というものの理解を深めているけども、自分が両方を意識してしまっているその状態は、自分の中の反応がチグハグなのに解消できないので、少しテクニックを使って流せたら、というものだった。

全ての事は、反応してしまうこの「脳」をどうにかしてダマして(活用して)それらを解消させていくか、という事だから(*^^*)

この自分自身の”意識”が何かに対してしっかり働く状態のまま、全てに同じように”やろう”としても、どこかが凹むだけ(我慢するだけ)なので。定型文で食事に感謝している状態中に、”顔”の映像を潜らせて感謝の対象に入力(処理)してもらうようなイメージだった。


表の意識で分かることが”変わる”ことじゃない。内側が変わる状態は、その変化自体はその場で確認できない。

その後の自分の行いが、以前と変わっていることでしか分からない。変容はスパッと変わる事ではないから(*^^*)


昔の環境なら、「当たり前に発生していた」状態なんだけど、大きく環境が変わったため、その事の現われがなくなる。

始めから”昔”の環境を知らずに、新しい環境がベースになっている現代においてのモノコトは、ただ「顕れていないだけ」という事が理由の、隠れている状態なだけ、という事もあるのでは?と思った。

それを”知らない”ということは、新しい体験で未知は驚きもするし恐いのだけども、眠っていただけの状態が起きるという事も、世の中にはたくさんあるのだろうと、久々のおできに思っていた。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!