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心で豊かになる

『つまらないことしてるなぁ・・・』

アタマに流れた映像を視て、ふとそんな感想を言った。

・・・

『あ~、今日ケーキ食べたいかなぁ…』

買い物のスーパーで買えるケーキもあるけど、それは全く食べたくなくて、じゃあケーキ屋さんに行ってショートを買って食べて…”??”。

『(おいしかった……で?それで終わっちゃうじゃん)』

そんな独り言が脳内を走り、言葉が表れていた。


「それでいいじゃん、キレイな言葉で言うなら”素晴らしい事だよ?!”」

考え方が全く違う主人に同意は求めないのだけど、主人の口から「美しい」思いが聞けたようでそのそばからメモしていった。

「おいしかった、それで良いでしょ?食べて心が満たされるんだよ?それを”つまらないこと”って、どれだけ心が荒んでんだよ(笑)」

主人に散々、説教を食らった(笑)。

いや、その通りごもっともですよ。
荒んでいる訳じゃなくて、アタマで考えてしまうと、こんなつまらない事になってしまうんだな、と早速自ら体感したという話でした(*^^*)

”思考”というのは、怖いね。


カンタンに並べて行きます。

田舎では、自宅敷地内で、”家庭菜園”が行われているお宅は結構ある。

広い敷地内で、色々と日々忙しく準備がなされているであろうそれを見る事はある。

私はこの地に約20年住んでいるけども、深い関心を持った事がなく、それは以前はお勤めをしていたという事もあり、ここ何年かで住んでいるこの場所の事を少し知り始めたに過ぎないという酷い無知、無関心な人。


『(夏野菜とかかな?何か作ってるんだ(*^^*)・・・、あの花は不自然だねぇ?どんな意味があるんだろう…)』

ワン散歩で見かけた、何か収穫ができる支柱を立てた背の高いその植物の足元に、マリーゴールドがチョン、チョン、チョン、と植えてあった。

昨日は主人も一緒のワン散歩。

皆で一斉に散歩へ行って、そのお宅の前を通りかかった時、主人に思っていた事のまま話した。

「なんか虫が来ないとか、あるんじゃない…?」

『あっ!そうだ。そうそう、マリーゴールドは確か”虫よけ”みたいなのを読んだ事がある。すごいじゃん!そうだ、野菜が食べられない様に植えてるんだ('ω')ノ』


家庭菜園だけでなく農家もやっているお宅、そんな事は当たり前に行われる知恵なんだろうけど、こういう私みたいなど素人にはただ”不自然”と目に映る光景。だけど「農家さんで、何か意味があってやってるはず」という推測で、自分の無知によってかける疑いから、その不自然さの意味を探る事は可能。

夜になって思い出し、実際に調べると、マリーゴールドには強いにおいによって虫よけ効果があるという記事を読んだ。

すごいね、農家さんの知恵。

知っている人には当たり前のことなんだろうけど、本当に私みたいな人もいるんだよね(笑)

「そうか、そういう事か…」
その理由を知ると、今まで目にしていた近くの別の農家さんの様子も今までとは違った風に観る事ができる。

ビニルハウスの手前に色々と植えられている花々、それらはそういう効果のあるなしは私には分からないけれど、もう少しあの花たちを見ることを楽しめるかもしれない、そう思った。いつも軽く通り過ぎるから。

いや違うな(笑)
それを行っているあのおばちゃんたちの”凄さ”を私は見せられたんだろうな。

(この事は、私の脳内の”現実化”として現れた、と、この数日で同様の位置関係を表わすようなイメージが私の中にあったので、それが明らかに観えた、と感じる出来事でもあった)


私たちが何かを学ぶ時、それは所謂”勉強”という知識を入れて行く学習だけではない。

だけど私たちは、そんな習慣を長い時間かけて身に付けているから、それが”学び”だと思っている所はかなりあるのだと思う。

昨日の記事内での、シンクロの「もう一つの”方向”で触れている…」に書いたような行いを少し拡大して観ると、私たちが感覚を通して自然と身に付けていることを、これは自ら自覚に上げながら認識・認知していく行いプロセスという”学習”だという事ができる。

もう忘れた、知らない内に身についてしまっている私たちの感覚は、それにはどういう経緯があって何をその様に思う(感じる)様になったかなんて身体的な事から説明できる人はあまりいないと思う。

大体はもう既にそれを、例えば熱いと感じ冷たいと”思って”いる。


それを、まだ感覚的には「分からない」感知しない所から、何かの”事象”との結び付けを行う事によって、新たな回路を作る事になる、そう感じた。

大人になってそれが出来ることの最大のメリットは、「それは誤り・違う」という事を、しっかりと頭で弾くことができるという事。

身体的な感覚だけでなく、心で感じるその感覚もエラーで結びついたものが往々にしてある事で珍しくはない。そんな中で大人になってからならば、感覚を使って確かめながら行う事が可能になる。

幼い頃の学びより、大人の学びは経験により複雑に、だからこそ精度を上げて行くことが可能なんだろうと感じた。


「お、おれは何でも知ってるんだよ…当たり前じゃん・・」

「すごいじゃん!」と主人に言ったその時の主人のニヤケ顔が、とても印象的なワン散歩だった(笑)

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☆うみのみか☆
応援チップありがとうございます。自然と学べる記事の提供で倍返しいたします!コメント頂ければ内容を盛り込んで記事として出力いたします。 共に学んで参りましょ~(*^^*)